"高校野球"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
今日から「煮込み」再開します。
雨の日々が続いて、肌寒い秋の匂いがしてきましたね。
こんな日は、自分も「煮込み」が食べたくなります。
軟らかく、汁まで飲める煮込みです。
是非、ご注文くださいませ。
そしてまた息子の野球ネタです。
週末も、同級生のケンシや常連のヒロユキくんに全国大会への寄付を頂戴しました。
本当にありがとうございます!!
あらめて、たくさんの方々からの応援と激励が、本当に心強く励みになります。
今年の鶴岡ドリームスは、好投手4人を擁してしっかりと守り勝つ野球です。
ほかにも何かやってくれそうな選手たちが揃ってますから、ここぞといういい場面で
一発バチーンと打てるヒーローの出現も今から楽しみにしています。
今月22日から静岡県内9会場で開幕する「第18回全国中学生都道府県対抗野球大会」ですが、
なんと全試合55試合のネットLIVE配信が決定しました。
https://jjbf-bbt.jp/live/ (まだ準備中のようです)
参加出場チームの紹介や各チームへの応援メッセージなどのページもあるようですので、
是非ブックマークしていただいてWⅰ-Fⅰ環境下でお楽しみいただければと思います。
そしてさらに、決勝トーナメントからはJSPORTSチャンネル(BS・CS加入必要)での
放送も決定し、まさに「中学生の甲子園」の舞台にふさわしい環境が整ってきました。
鶴岡市を、そして山形県を代表して、全国大会で暴れまわってもらいたいですね。
皆様からの応援をよろしくお願いいたします!!
そして日曜日の夜は、野球部のOB会の定例役員会議もありました。
年明け1月に開催する「鶴岡東高校野球部創部50周年記念式典」の開催に向けての
重要な会議でしたけど、熱く真剣に議論を交わしながら、いい式典になるように
しっかりとイメージを膨らませて、綿密な準備を進めていかなくてはなりません。
自分にとってはOB会事務局長としての集大成というか、最後の大きな仕事になるでしょう。
30年ぶりの甲子園出場も含めて6年間で3回の出場にも、野球部OB会事務局として
学校や旅行会社との連携を取りしっかりとサポートできたと思っています。
自分を事務局に任命した田中先生もすでにお亡くなりになり、創部50周年の節目も
無事に迎えられましたので、これからの鶴岡東野球部OB会の新しい歴史を構築すべく、
新しい体制でのOB会運営を陰ながら支えていければと思っているところです。
十数年前、自分が事務局を引き受けた際には、会計もハチャメチャだったし、
OB総会を開催しても出席者30名(うち役員10名)という、実質名前だけのOB会でした。
鶴商学園は名門野球部だという自信と誇りを持って県外で生活していたのに、
地元に戻ってきたらOBそのものにシラけたムードが漂っていたんですよね。
「OB会?めんどくせーな。」
「なんだよ、金かかるのか。」
「一応、球場では試合は観てるよ。」
一体感もなく、どこか面倒くさくて、OB会費も払いたくないし、いまさら上下関係ってウザい・・・
誰もがそう感じていたんだと思います。
野球をやってきたやつらの心を掴むには、やっぱり野球しかないんですよね。
そこから、世代を超えたOBだけで結成された「鶴商学園倶楽部」の結成に繋がります。
現役時代に着ていたニットの縦じまのユニフォームを正式に譲り受け、
そのユニフォームをチラつかせて「このユニフォームを着て一緒に
野球をやらないか?」が口説き文句でした。
入団希望者へは「やるからには真剣に全国大会まで目指そう!」と
「OB会へ参加すること」の二つを条件にしました。
そんな時間を一緒に過ごしたメンバーたちの楽しそうな笑顔や仙台遠征や全国大会出場やら
マスターズ甲子園出場などの大人の一体感の楽しさが派生して、少しづつOB会への誤解や
嫌悪感が薄れてきて、少しづつ少しづつ参加人数も増えて今のOB会になったのは間違いないでしょう。
自分ひとりごときが必死こいたところで、これだけの組織にはなりません。
参加してくれる、支えてくれるOB一人ひとりの協力と母校への愛校心がなければ
絶対にここまでの組織にはならなかったはずです。
後輩と先輩の関係も良くならないと、OB会なんて面白くもなんともない会ですよ。
甲子園夏初勝利の前夜、道頓堀で同期クリハラと待ち合わせして焼肉屋で食事することになったら、
後輩達がオレもオレもと集まってきちゃって、結局会計を自分とクリハラ二人で払うという
甘え上手の後輩達とカッコつけちゃう先輩との空気感というか一体感も嫌いではありません。
あの時は、会計7万だったかなー(泣
クリハラは大会社の大社長だけど、オレはただの居酒屋のオヤジだぞ!などと文句は言わず
思いっきりカッコつけましたよね、大阪に着いた初日から。
後輩達は「あざーっス!」でいいんだもん(笑
オレなんか、いつか旨いホルモンを食わしてやるっていう先輩はいるけど
未だにおごってもらったことがないんだぞ、まったく!!(笑
まぁ、それもこれもみな懐かしい思い出です。
さーて、煮込みも仕上がりました。
全国大会に記念式典にと、まだまだ忙しい日々が続きそうです。
そんな充実した日々に感謝しながら、今日も頑張ります!!
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毎度ありがとうございます!
息子の引退試合が無事に終ったその日、鶴岡ドリームスタジアムでは夏の高校野球山形大会で
母校鶴岡東の一回戦が行われていました。
毎年のように秋が春のどちらかは東北大会に出場していたんですけど、今年のチームは
県大会にこそ出場するものの準決勝にすら進出できず、正直なところ他校との力の差は
例年以上に大きいと感じざるをえない非力で小粒なチームという印象でした。
そんなチームがノーシードの一回戦から登場し、ヤマ場は三回戦の日大山形になるだろうと
高校野球ファンの誰もが予想していたに違いありません。
そして、このチームがさらに勝ち上がっていくための試金石となるのもまた、
三回戦の日大山形戦になることは容易に想像できていました。
センバツに出場し智辯学園とも接戦を繰り広げた日大山形に勝たずして甲子園はないだろうと。
そして、彼らは見事な逆転劇で日大山形を撃破します。
さらには春季県大会準優勝の山形中央が新庄北に敗れ、秋季県大会準優勝の東海大山形が
サヨナラで山形南に敗れ、風向きがアゲインストから大きくフォローへと変わってきました。
高校野球ファンが大好きな140kmピッチャーも今年はいませんし、
ホームランを放つような華のある大型バッターもいません。
コツコツと単打と確実な送りバントを積み重ね、二死からでも1点を狙っていく戦い方は
選手権山形大会史上最多数のホームランが出た今年の山形県大会において、
チーム本塁打が僅か1本のみ、犠打は準決勝出場4チーム中最多という数字が物語っています。
一試合ごとにスタメンが代わり、守備位置の変更も多種多様でありながら、準決勝での失策2以外は
すべてノーエラーで勝ち上がってきた守備力の高さも、特筆するべき勝利要素であるでしょう。
そして決勝は春季県大会優勝チームの第1シード羽黒。
3年前に決勝で対戦した同一カードとなりました。
3年前と違うのは鶴岡東がチャレンジャーであるということ。
スピード自慢の高速ピッチャーに、高校通算を数える長距離バッター擁する羽黒が
有利だろうという記事ばかりが新聞やネットから目に飛び込んできます。
近年の鶴岡東も、そういう選手を擁して甲子園を手にしてきたのもまた事実ですけどね。
初回にいきなり3点を先制されましたけど、スタンドの誰にも動揺はありませんでしたね。
なんだろうな、一言でいえば「点を取られて当たり前。今年の羽黒は強いし。」的な感じで
「いきなりやられたよ、ヤバイな!」みたいな焦りや悲壮感は全くなかったですよね。
もちろん、まだ初回でもあったわけだし。
その裏、羽黒エースの球速は初回から148kmを表示していました。
3回の打者一巡までは目慣らしと変化球の精度のチェックは必要だと思って見ていました。
その予想通り4回に1点、さらには5回に一挙3点を奪い一気に逆転するとスタンドの
ボルテージは最高潮に盛り上がってきました。
がその裏、羽黒もすかさず同点に追いつき、そのまま延長戦へ。
一発の怖さのない鶴岡東は10回11回と得意の犠打を駆使しスコアリングポジションまで
ランナーを進めるものの、あと一本が出ずなかなか勝ち越せない状況でしたから、
得てしてこういう場面ではホームランの一発で決まるシーンを何度も見てきました。
そんな思いの中、4番竹内の打球はライトスタンドへのサヨナラホームランで勝負が決まりました。
誰もがライトへ伸びる勝負を左右する打球を目で追う中で、バッターが一塁ベースを
踏んでいないように一瞬でも見えたのなら、確認(アピール)するのは当然の権利です。
結果的に踏んでいてセーフならセーフでいいんですよ。
疑わしいから確認(アピール)をするというのは、タッチアップの場面でもよくあります。
そして結果セーフだった。
しっかりと踏んでいたのを一塁塁審が確認していたからセーフなんですよ。
その部分を切り取って、往生際が悪いだの、潔くないだの、またまたネットがざわついてますけど
一瞬でも踏んでないように見えたからアピールしたわけで、セーフのコールの後にはきちんと整列し
羽黒の選手の健闘を称え声をかけていた選手たちの、どこが非難されるのか理解できません。
(こういうことを書くと、またお叱りを頂くかもしれませんので、その件へのコメントは結構です)
最後のゲームセットのコールがかかるまで一球に集中し、一挙手一投足に集中するのは
当然のことだと思いますし、「あれ?今、もしかして?」なんて感情を抱えたまま終れますか?
確認し、そして、そこでの判定には「潔く」です。
試合後に羽黒の関係者に
「ナイスゲーム、ナイスバッティングでした。第1シードの力量通り投打のバランスの取れた
いいチームですね。甲子園での活躍を期待しています。テレビの前で応援していますから。」と
お祝いメールを送って、今年の自分の夏も終りました。
試合が終わるまでは、たとえ同一地区であろうと敵として必死に戦います。
試合が終ればお互いを称えあい、勝った羽黒には県代表の誇りを持って甲子園でも
頑張ってもらいたいし、その躍動する姿を自分は応援していきたいと思っています。
鶴岡東が甲子園に出場した際にも、そうやって温かく送り出して頂いたと思っていますから。
どの学校にもファンもいればアンチもいるのは当然ですし、その考えのどれもが自由だとは思います。
頑張った選手たちを労い、見事勝利したチームに内陸だの庄内だの、地元だの県外だの、
私立だの公立だの、というフィルターは必要でしょうか?
自分は鶴岡東が好きだし、それ以上に高校野球が大好きです。
だから、どこが代表校でも甲子園は必ず観ます。
さーて、煮込みの代わりに、毎日えだまめを茹でる日々です。
マサトモくんちのえだまめは本当に美味しいです。
今週は品種が「おつな姫」で、来週あたりからは「早生甘露」が出てきます。
時間があれば、当店で提供している「えだまめ」についても是非紹介させてください。
高校野球よりも、そっちが先だったかな。
なんのブログだよ、って叱られそうです(笑
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毎度ありがとうございます!
昨日は、毎年恒例の高校野球部のOB総会が開催され、大きな問題もなく無事に終了し、
後半の懇親会も大変に盛り上がったいい懇親会だったと思います。
創部50年を迎えるにあたって、改めてその歴史の積み重ねを実感しています。
強かった年もあれば、弱かった年もあります。
甲子園に行った世代もあれば、一回戦で負けてしまった世代もあります。
そういった結果よりも、厳しい練習に耐え抜き3年間続けてきた部員一人ひとりの日々の積み重ねが、
創部50年という大きな歴史となって、そしてこれからも続いていくんだなあと、
何ともいえない感慨深い感情が湧いてきていたんですよね。
自分もOB会事務局を務めて、もう13年が過ぎようとしています。
現場との距離感や、OB同士の親睦と縦と横の仲の良さと繋がりを意識して
走り続けた期間だったように思います。
来年には800名を越すOBの中には、いろんな人がいます。
いかに自分の現役時代が凄い選手だったかを自ら熱弁する人もいますし、
相変わらず後輩に対して高圧的な態度で接する人もいます。
でもね、気がつけばそういう人の周りからは、なぜか人がいなくなっているから不思議です。
みんな気づくんですよね、そういう話しやそういう態度の前で一緒に酒を飲んでもマズイことを。
歳を重ねるにつれて現役時代の角が取れて丸くなってきて、同じ時代を戦ってきた同志のような
理想的な関係は、先輩の懐の深さと器量の大きさがなければ絶対に築けないものです。
特に我々のような昭和の根性野球の全盛期に、1学年違えば天国と地獄の絶対的な上下関係を
過ごしてきた者たちが、50も過ぎて辿り着くゆるーい関係というか、心地いい先輩後輩というか、
ようやくそんな歳になり、ようやくそんな関係になれた心地よさがそこにはあるわけですよ。
そういう意味では、自分は本当に心の広い良い先輩と巡り会えたと思っていますし、
自分も後輩のことはこれからも、懐深く器大きく接していこうと思っています。
ようやく総会が終わったといえど、自分の雑務はまだまだこれからが本番です。
当日の総会の様子を撮った写真を選別してホームページにもアップしなければなりませんし、
総会の総括資料もこれから製作しなくてはなりません。
組織をまとめるためには、誰かがやらなければならない職責です。
たくさんの先輩方から「いつもありがとうな。お前が一番大変なのはみんな知ってるからな。」と
声をかけて頂くたびに、なんとも言えない気恥ずかしい気持ちになります。
でも、自分の頑張りなどではなくて、参加してくださるOB一人ひとりの愛校心が
今のOB会の礎になっているんですよ。
今回も遠くは大阪、神奈川、東京、埼玉、福島、新潟、秋田、岩手からと、
たくさんのOBの皆さんに足を運んで頂いておりました。
本当にありがとうございました。
これからも、また顔を出したい、みんなに会いたいと思ってもらえるような、
そんなOB会になるべく微力ながらサポートしていけたらと思います。
お疲れさまでした。
来年に向けてこれからまた頑張っていきます。
ありがとうございました。
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毎度ありがとうございます!
8月8日は田中先生のご命日です。
また今年も田中先生との思い出を書いてみたいと思います。
現役時代はほとんど会話をしたことがなかったわけですけど、30代半ばで鶴岡に戻ってきて
日中にわりと時間が取れるヤツだと認識されてからは、しょっちゅうゴルフに誘ってもらったり
二人で買い物にも出掛けたりしていました。
その車中ではいろんな思い出話をしながら行くんですけど、ある時こんな質問をしたことがあります。
「今、OB会の事務局をやらせてもらってますけど、甲子園に行った世代がOB会に
協力してくれないのはなんでなんですかね。」
「・・・。」
「県外生が多かったというのも分かるんですけど、振込みひとつ入れてくれないじゃないですか。」
「そうか…」
「田中先生は、あの世代の方たちと会いたいですか?」
「うん。久しぶりに会いたいな。」
「やっぱり、そうですよね。」
「OB会でみんなで会いたいな。」
「はい。」
「もっとお前が頑張れば、みんな集まる。」
「もっとですか…」
もちろん今は30年ぶりの甲子園出場を機に交流や連絡が密になり、みなさんからOB会に
出席頂いたり、振込みでOB会費を入金して頂けるようになりました。
本当に、本当に感謝しております。
県外に住むOBの方々にとってはなかなかOB会といわれても身近ではないし、
当時はなんというか、きっかけもなかったのだと今では理解できます。
でも、あの年の甲子園出場までは本当に運営には苦労していたんですね。
案内を出しても、人も集まらない。
振込先を連絡しても、お金も集まらない。
そして、田中先生の体調も万全ではない。
それでも、毎年同じ顔ぶれのOB会に毎年田中先生は必ず出席してくださいました。
二次会にも気さくに付き合ってくださって、酔っ払って出来上がった教え子たちの
「先生、先生!歴代の最強4番は誰ですか?」だの、
「先生!キミシマさんは、どんぶり飯5杯食ってたって本当っスか?」だの、
「アイボリーのユニホームは先生にとってアリですか?」などなど、
勢いに任せて思いつくまま質問されても、イヤな顔ひとつせず全て答えていたものです。
お亡くなりになられたその年の9月に、八乙女で当時の甲子園世代の方々約40名が集結して
「世代親睦会」が開催されました。
真ん中に先生の遺影を囲み、当時中学生だった自分が憧れた先輩たちと初めてお会いしながら、
楽しい時間を過ごさせて頂いた事は、自分にとってもいいきっかけになりましたし、
そこから今につながる大切なご縁を頂いたと思っています。
生前、先生がみなさんに会いたがっていたのを知っているだけに
「田中先生がご存命だったらなぁ」と、盛り上がる宴会場の方隅で
ぼんやりと一人先生との思い出に浸っていたのを思い出しました。
今ではお店に寄ってくださる先輩や、わざわざOB会で飲めと日本酒を送ってくださる先輩もいて、
本当にありがたく感謝の気持ちで一杯です。
失礼な感情をもっていたこと、本当に申し訳ありませんでした。
そして、いつもいつもOB会活動へのご理解とご協力、本当にありがとうございます。
先生には「お前がもっと頑張れ!」と激励されましたけど、自分が頑張ったわけではなく
先輩たちの母校への愛校心を先生が呼び起こしてくれたんだと思うんですよね。
いいOB会になりましたよ、先生。
あの懐かしい顔ぶれで一杯やりたかったですね。
そして、酔っ払った勢いで今なら必ずこう聞くでしょう。
「先生!そろそろ事務局あがっていいですか?」と。
今なら「うん。」と言ってくれそうな気がしますけど。。。
創部50周年の区切りの年までは、先生の遺言だと思って頑張ります!!
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毎度ありがとうございます!
お盆が明けてからも何かと忙しく、ブログの更新ができずにおりました。
10日ぶりの更新です。
この10日間で一番の出来事といえば、母校鶴岡東が三回戦で負けてしまったことですかね、やっぱり。
本当に残念です。
今年は同期ワタルの息子ソウマがレギュラーでベンチ入りしていて、
個人的にも例年以上に肩入れしていて、甲子園に行ってほしい年でもありました。
まだ子どもたちが小さかった頃は、ワタルの実家のある温海の海岸でファミリーBBQを楽しんだり、
お互いの子どもたちのお下がりをあげたりもらったりしてきた付き合いです。
30年ぶりの甲子園出場の際にも、夜通しバスの中で騒ぐおっさんたちと一緒に甲子園に行きましたし、
わが子とまでは言いませんけど、親戚のおじさんくらいの感覚で子どもの頃からソウマの成長を
陰ながら見守ってきたつもりです。
4つ下にあたるウチの息子に、Tシャツやらアンダーシャツやらをもらうたびに、ソウマの頑張りを
聞かせてあげていましたから、息子がソウマに憧れを抱くのは自然なことだったでしょう。
今も使っている素振り用のバットやラダーも、すべてソウマからのお下がり品です。
高校進学をどこにするか迷っている時期に家族で食事にきてくれて、あの明るいソウマの笑顔が
思春期と反抗期とが相まって、随分と悩んでいた顔だったのをはっきりと覚えています。
それだけに自分自身で鶴岡東に入学を決めたと聞かされたときには、わが子のように嬉しかったし、
下級生時代にスタンドで見かけると、いつも「ソウマ!頑張れよ!」と気軽に声をかけてきました。
新チームになり、見事レギュラーを勝ち取り試合に出るようになると、むしろ親のワタルの方を
随分と羨ましくも思っていたものです。
それだけ鶴岡東でレギュラーを勝ち取るということが簡単ではない事だと知っているからです。
OBの息子だろうが、関西からの特待生だろうが、シニア上がりだろうが、一切関係ありません。
与えられたチャンスをものにし、競争を勝ち抜いた者がベンチ登録される厳しい世界です。
春季大会では結果が出ずに登録を外され、悔しい思いでスタンドから応援していた寂しい横顔を
ワタルも傍で見てきて「お前なら絶対にやれる!」と鼓舞してきた親心も痛いほど分かります。
その悔しさを乗り越え、さらにバットを振り込み、最後の夏にまたレギュラーで戻ってきただけに、
もっともっと勝たせてあげたかったし、甲子園で活躍するソウマの姿をこの目で見たかったです。
ワタルと同じ背番号7を背負って、ワタルと同じ「1番レフト佐藤くん。」とアナウンスされた時は
感動して、試合開始前に胸が熱くなってしまいました。
高校野球はこれで終わってしまったけれど、人生の試合開始のサイレンはまだ鳴ったばかりです。
甲子園に出たとか出ないとか、レギュラーだったとか補欠だったとかは、
人生においては、さほど重要なことではありません。
その厳しくも凝縮された3年間の間に、社会を生き抜く【逞しさ】と、周りの状況を見て感じとる【感性】が
磨かれれば、いつの日か鶴岡東に入学して良かったと思える日が必ずくるはずなんです。
オレたちの夏、準決勝の日大山形戦、最後のバッターはワタルでした。
完全アウトの内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、そのまま立ち上がれず塁上で涙した
ワタルの無念さと、あの日の悔しさは、すでに息子ソウマが晴らしてくれたと思っています。
「オレの高校時代は不完全燃焼だった。」と、飲めば夜中にしつこく語るワタルもいま、
きっとそう思っているはずです。
少しゆっくりして、これからの自分の人生を、また自分の頭でしっかりと考えて、
歩んでいってほしいと思います。
いつまでも小さい頃のままだと思っていたソウマが、大きく成長し、逞しく必死に戦う姿に、
胸が躍らされ、熱く熱く感動した夏でした。
ソウマ、おつかれさん。
本当に頑張ったな。
そして、ありがとう。
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毎度ありがとうございます!
社会人都市対抗野球東北二次予選において、山形県代表のきらやか銀行が昨年に引き続き
二年連続で東京ドームでの本戦出場が決定いたしました。
ちょうど一年前にもブログに書きましたけど、自分の兄がきらやか野球部のOBでもあり、
子供のころから身近に感じていたチームですから、二年連続出場の快挙は本当に嬉しい限りです。
昨年は日程が合わず、東京ドームへ応援には行けませんでした。
本戦は7月17日から25日までですから、高校野球の夏の予選ともろかぶりなわけですよ。
でも、今年は多少無理してでもドームに行きたいんですよね。
もちろん東京ドームには行ったことがありますけど、ドームで行なわれる都市対抗で
地元企業を応援する機会というのは、そうそうないと思うんですよ。
いや、これからきらやか野球部も常勝軍団としていつでもドームに行けるなら、
また次のチャンスにということもあるんでしょうけど、他の企業チームも本気で戦ってきますから、
そんなにいつでも行けるものではないんですよね。
県勢としては66年ぶり、きらやか野球部創部以来初めての都市対抗本戦出場から、
二年連続出場の快挙ですから、その強さは本物なんでしょうけども。
都市対抗の醍醐味は、やっぱりスタンドの一体感と応援団の華やかさですよね。
それをドームで味わえるというのは、やっぱり魅力的です。
もちろん日帰りは無理でしょうから、なんなら東京出張も兼ねてということで(笑
久しぶりに水道橋の「遠州屋」の煮込みともつ焼きも食べたいし、都内の立ち吞み屋ラッシュと、
各店舗の雰囲気やクオリティもこの目で確認したいというのもありますし。
高校野球の組み合わせと都市対抗の組み合わせとカレンダーとを、穴があくまで見比べて、
本当に行けるようなら是非実現したいと思っています。
確率50%ですかね、今のところは。
野球半分、酒場半分、楽しみ十分ですけど、また忙しい夏になりそうです。
今週末には、息子の野球部の中総体もありますしね。
なにはともあれ、野球本番の夏に向けて今日も頑張ります!!