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毎度ありがとうございます!
来月の息子の小学校卒業を目前に控え、久しぶりにスーツが欲しくなったんです。
ただ、既製品のスーツでは自分の体型が合わないのか、しっくりくるのがないんですね。
ウエスト周りで合わせると肩幅が狭いし、肩幅で合わせるとウエストがガバガバなわけです。
となると、オーダースーツしかないんですけど、やっぱりいい値段するじゃないですか。
でも、ネットですごいお店を発見してしまって、早速休日を使って仙台まで行ってきました。
初回注文の方限定で19800円!
ただし、初回の採寸・受け取りは店舗にて、という条件付です。
どうです、安くないですか。
生地も秋冬生地から春夏生地があって、10種類以上の生地の中から選べます。
ポケットの形や襟の形状や幅まで決めれますし、ボタンや裏地まで無料で選べます。
シングルスーツ、ダブルスーツはもちろんのこと、二つボタンや三つボタン、三つボタン段返しに、
センターベント・サイドベント、ありとあらゆるスーツのパーツをオリジナルで決めれて、
しかも自分の体型にピッタリのスーツが出来上がるわけですから、とてもお値打ちだと思います。
今回は、トラッドなきっちりしたスーツをイメージしていましたんで、
別料金で襟付ベストも作ることにして、スリーピースでオーダーしてきました。
生地はハウンドトゥース・チェック、いわゆる千鳥格子といわれる柄です。
今では一年の9割をジャージで過ごす自分ですけど、意外や意外こう見えて、
18歳から20代後半まではアイビーファッションにこだわっていて、
野球が終わった高校時代から、VANやJ.PRESSの紺ブレザーに、
ブルックスブラザースのボタンダウンを着て、レジメンタルのネクタイに
ピカピカに磨いたタッセルスリッポンを履いたりして、けっこうお洒落番長だったんですよ(笑
大学卒業時に、J.PRESSのオンワード樫山の就職試験を
本気で受けようと思っていたくらいです。
スーツやブレザーの着こなしにはうるさかったですしね。
今では、当たり前にその辺で売ってるクレリックシャツですけど、
随分と前からオーダーで作ってもらっていましたし、バブルの頃は
ピンホールシャツやラウンドカラーシャツにはまった時期もありました。
今着たら笑われるでしょうけど、蝶ネクタイも随分と持ってましたし、バブルの頃に流行った
アスコットタイ(首に巻くスカーフ)も10本以上はコレクションしてました。
大学に入るまで、ジーパンは一回も穿いた事がありませんでしたから。
チノパンかグレンチェックのスラックスがお気に入りで、サドルシューズが好きでしたね。
裸足でモカシンシューズやデッキシューズなんかもよく履いてました。
お洒落は靴からだと今でも思ってますんで、革靴のお手入れにはうるさいですし、
靴が汚い営業マンは未だに信用できません。
トレンチ・コートよりなら、ステンカラー・コートや、ピー・コートを好みますし、
細いモード系のネクタイよりも、剣先8センチの太いネクタイが好きです。
毎月MEN’SCLUBやHOTDOGを買ったりして、ブレザーとスラックスは
今までトータルで何着買ったか自分でも分からないほどですもんね。
そんな昔の知識が蘇ってきて、採寸の店員さんと楽しく会話しながら、注文してきました。
あまりの詳しさに「アパレル業界の方ですか?」と聞かれたくらいです(笑
若い頃の経験や知識を駆使して、最近流行のタイトなスーツは着れませんけど、
40代最後にふさわしいお洒落なスーツになることでしょう。
細部までこだわったカッコいいスーツが出来上がってくるのを楽しみに待ちたいと思います。
というわけで、採寸が終わったのが午後2時30分。
その日はサッポロビールの営業担当から教えて頂いていた仙台の繁盛店を視察するため、
なんと無理やりのお泊まり企画!(笑
楽しみな仙台の夜に備えて、まずはサクッと腹ごしらえと決め込んで、
颯爽とコートの襟を立て一軒目のお店に向かったのでした。
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今日は、恵方巻きと清原逮捕のどちらかを書こうと思っていたので、あえての清原のほうで。
高校を卒業してから、自分の歳や時代を聞かれると必ず「清原・桑田と同い年」と、
ハンコで押したように答えてきました。
もちろん会ったことも話したこともありませんけど、同じ時代に高校野球をやっていたものなら
どんな田舎に住んでいようとも、みんなが一度はそう答えたことがあるくらい、清原桑田は
我々の憧れでもあり輝くスーパースターだったことには違いありません。
自分たちの年の甲子園は東海大山形が出場し、29-7という
記録的な大敗もよく話題になります。
「もしも自分たちが甲子園に出場していたら、そして同じくPL学園と
対戦していたら、かるく50点くらいは取られていただろうなー。」
なんて、勝手に対戦シュミレーションしていたものです。
西武入団後の日本シリーズで試合終了前に涙し、セカンドの辻に声をかけられるシーンには
本当に感動しましたし、清原の活躍をニュースで見ると、やっぱり嬉しかったですもんね。
その因縁の巨人にFAで移籍したのも、田舎で巨人戦を見て育った自分には嬉しいニュースでした。
んー、でも肉体改造し格闘家のみたいなイカつさに耳にピアスを開け、真っ黒に日焼けして
いつからか番長キャラになってきてからは、ちょっと残念な気持ちで見ていたんですよね。
雰囲気が変わったあの頃から、なんとなく清原を見てもワクワクしなくなってきたんです。
それがひょんなことから清原のブログを見つけて、離婚して子どもと会えない寂しさや、
大阪に住むお母さんへの想いや、息子との少年野球を楽しみにして前の日から寝れず、
朝早くからグランドに行く姿なんかを知って、なんか共感できるところもたくさんあって
毎日ブログチェックしていたくらいになってたんですね。
息子のスパイクをピカピカに磨いてやったり、ボロボロになった息子の帽子を大切にしていたり、
両親のことをオヤジ・オフクロと呼ぶのではなく「お父さん、お母さん」とちゃんと呼んでいたり、
テレビで見るイメージよりも身近に感じる日常と、同じ父親としての想いや寂しさを綴った内容に
なんとなく親近感が沸いてきたのかもしれませんね。
毎朝コンビニで海苔巻きやおにぎりを買っていたり、夜中におでんを買いに行ったりしてて、
イベントやメディアに出ていない時は、自分達と変わらない日常を過ごしてるんだなぁ、なんて
楽しみにチェックしていたものです。
それだけに今回の件は、残念だとしか言いようがありません。
同じ時代に生まれ同じく野球に明け暮れて、そこから先の人生は別次元なほど
自分の日常とはかけ離れた存在でしたけど、どちらが幸せなのかはわかりません。
当たり前のことですけど、地位や名声を手に入れた人はそれなりに高価な暮らしになりますよね。
成功したら良い暮らしをするのは自然なことだと思うんですよ、そのために頑張ってるんだから。
高級マンションに住んだり、外車に乗ったり、高い時計買ったり、海外旅行行ったり…。
それはそれでいいんですけど、悪いことをしたら有名人だろうが平等に裁きが下るわけです。
これも当たり前ですけど。
雲の上のような人でも、捕まればただの人です。
こんな田舎に住んでいても、何回「清原と同い年」と口にしてきたかわかりません。
自分は、ブログで見せる優しい表情の清原が好きでした。
いつか「しくじり先生!オレみたいになるな!」にでも出てくれないかな。
クスリが抜けて顔つきが変わり、少し痩せた昔の清原をみたいものです。
代償は大きかったけど、命ある限りどこででもいつでも再出発は出来るはずです。
そんなことを思った昨日の出来事でした。
フェラーリも高級マンションも、まったく無縁の自分の日常ですけど、
そんな自分の日常に幸せを感じながら、自分にとっての今日を精一杯頑張ろうと思うだけです。
さーて、カールの散歩に行こうかな。
行くか、相棒! -
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他人のイメージというのは怖いものでして…
愛犬のトイ・プードルを散歩させてるところを目撃されると「あれ?ドーベルマンじゃないの?」
などとイジられますし、辛いものが苦手で甘党だというと大体がみんなに驚かれます。
自分で言うのもなんですけど、結構人情派ですし涙もろいところもあります。
昨夜は、後輩のユウキに「イシカワさんってスキーできるんですか?」なんて聞かれましたんで
「普通に滑れるよ。恥ずかしくない程度に。」と答えたら、もうすでに大笑いなわけですよ。
「なんでよ?オレがスキー滑れると、おかしいの?」
「イヤ、そういうイメージじゃなかったんで(笑」
「おいおい、どんなイメージなんだよ。」
「スキーウェア着て滑るんスか(笑」
「当たり前だろう!インストラクターみたいなカッコいいの着るわい!」
「ぎゃははは!」
「リフトとか乗れるんスか?」
「お前、リフトに乗れなきゃ上から滑れねーだろうよ。」
「ぎゃははは!」
「ちなみに、水泳も個人メドレーくらいやっちゃうよ。」
「えー!」
「バタフライなんか、背筋強いからガバーッって肩まで競り上がってカッコいいぞ!」
「ぎゃはっはっは!片足ついてるんスか?」
「ばかやろう!バサロだよ、バサロ!」
「ギャーッ!(笑」
「・・・」
後輩がどんなイメージなのかは知りませんけどね、普通にこなしますよ。
スキーも検定とかはしたことありませんけど、パラレルくらいは出来ます。
あまりコブを攻めたりとかはしませんけど、普通に滑る分には人並みだとは思うんですけどね。
娘とカミさんとスキーしたのが「やんちゃ」の開業前ですから、もう13年くらいはやってません。
今は主流のカービングの板には未だに乗ったことがないんで、
そんな会話をしていたら、急にまたスキーをやりたくなってきました。
18歳の頃、地元の仲間5人とピンクのスキーウェアを作って、
オリジナルロゴをバックプリントしたり袖にネームを刺繍したりして、
チームとして毎年蔵王に泊りがけで遠征していたくらいですもんね。
おろろいのウェアで上から連なって同じラインを滑ってくるのは、
何とも爽快でカッコ良かったものです。 夕食後の蔵王の温泉街を揃いのウェアで歩いていると、旅館の二階の窓から
「お兄さんたち、そのピンクのウェアカッコいい!」なんて女子大生に声をかけられたりして、
結構楽しかったあんな思い出やこんな思い出が蘇ってきました(笑
大学時代はニセコに泊りがけで行ってましたし、若い頃は随分とスキーにハマってましたね。
大学生スタッフのオオトモもスキーは出来るけど、水泳はできないんだそうです。
そういわれれば、ウチの息子もスキーをやったことが一度もありません。
ブーツすら履いたことがないですもんね。
自分の通った朝三小は、夏は鼠ヶ関で水泳教室があって800mの遠泳がありましたし、
冬は湯殿山でスキー教室もありましたから、なんでも人並みにはこなせるようになるわけです。
息子の通う朝四小は遠泳もありませんし、スキー教室もありません。
もっと言うなら集団登校(グループ登校)もないですしね。
子どものうちに体験してもらいたいことが、隣の学区ではやってる、こっちではやってない、
というのも、なんとかならないものでしょうかね。
地域や学区の特性や学校の歴史や特色もいいんでしょうけど、
義務教育の間は基本的に学校を選べないわけですから、鶴岡市として
「鶴岡の子どもは水泳もスキーも、どの学校の子もみんな体験し出来るようになる。」
というのが理想的じゃないでしょうか。
以前も書きましたけど、上級生が下級生の面倒を見ながら交通ルールを守り安全に気を配るという、
リーダーシップが培えて責任感も養える絶好の場が集団登校だと思っていたんですけどね。
ま、あまり興奮しないうちに止めときますけど、
要は何でも子どものうちに経験しとけって話しなんです。
勉強はからっきしダメでしたけど、そういう意味では自分は良かったと思っています。
寒波はようやく通り過ぎたのかな。
またアスファルトが顔を出して、車の運転もいくらか楽にはなってきた鶴岡です。
2月もすぐそこです。
OB会の入金お礼状の発送や確定申告の準備に、事務作業が山済みに残ってますけど、
楽しみな仙台出張も控えていますんで、モチベーション高く今日も一日頑張っていきましょう!
あー、マジでスキーやりたいです!
えっ?なにかおかしいですか?(笑
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毎度ありがとうございます!
鶴岡にも大型寒波がやってきて、雪かきに追われる日々がやってきました。
今年は、おばあちゃんちの雪かきもやらないといけませんから、結構な重労働です。
汗ビッショリになりますんで、風邪だけはひかないように注意しなければなりませんね。
なんて、今日はブログをのんびり書こうかと思っていたら、また雪が降ってきて
外が気になって仕方ないんですよね。
本来は、雪がやんでから雪かきするのが一番いいんでしょうけど、
それだと雪質の重たい庄内の雪相手に、腰痛持ちの自分には後からやっかいな事になりますんで、
雪の降る中、まだ雪が軽いうちに少し雪かきをしてしまうのがオレ流です。
その分、何回も雪かきしなくちゃなりませんけどね。
北海道にいた頃は、アパートの前は畑でしたし自分の駐車スペースだけでよかったんで、
さほど苦にはしていなかったんですけど、鶴岡に戻ってきてからは恐ろしく大変です。
一軒家を購入したということも大きな理由のひとつですけど、鶴岡市内の場合は
排雪場所がなかなかないんですよね。
近くに堰でも流れていればいいですけど、そうでなければ大体は自分の家の塀伝いに
高く積み上げていくことになります。
高齢者には大変な作業ですよね。
昨日、まだ除雪車の入っていないおばあちゃんちの雪かきをしながら、
小型の除雪車でも運転できるなら、高齢者の住むこの辺りを一気にやってやりたいなーなんて
思って黙々と雪かきしてました。
煮込みを作りながら、まずは自宅玄関までのスロープの雪かきから取りかかります。
風邪ひき・腰痛に気をつけて、早速出陣したいと思います。
ではでは。
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毎度ありがとうございます!
先日、息子の正月休みの課題のなかで、「家族に料理を作ってみよう。」という
家庭科の宿題があったんですよ。
なるべく家にある材料を使って、足りないものは買ってきて、切る・焼く・味付け・盛り付け・洗う
までのすべての行程を子どもがやってみるという内容でした。
息子が選んだのは「野菜炒め」と「味噌汁」と「じゃこ飯」の三品。
野菜の皮を剥き、ざく切りにしてフライパンで炒めて出来上がり!のはずが
包丁もおっかなびっくり持ちながらでしたし、味噌汁も同時進行だったせいか、
1時間もかかってようやくテーブルの上に出てきました。
それでも一生懸命に作った記念すべき一品です。
隣に付いていたカミさんに「料理って大変なんだね。今まで簡単に考えてたよ。ゴメンね。」なんて
会話が聞こえてきて、味や時間なんかよりも、普段のお母さんの食事の大変さが分かっただけでも、
意義のある課題だったと思います。
味噌汁も、血圧の高い自分を気遣ったわけではないんでしょうけど、
薄ーい味付けのなかに、一生懸命さと愛情と真剣な仕事が伝わってきましたので、
美味しくないわけがありませんよね。100点としました。
最後の食器洗いまで終わってから感想を聞くと
「今度はお父さんと煮込みを作って見たい!」
なんて嬉しいことを言うんで、必ず今度一緒に作ろうと約束をしたんですね。
お店にもたくさんの煮込みのファンがいらっしゃいますが、息子が一番のファンかもしれません(笑
朝昼晩と毎食でもかまわないし、毎日でも食べたいと言います。
煮込みを作っているのに気づくと、完成前でもいいからちょっと味見をさせろと言います。
一緒に煮込みを作る前から、すでに舌で味を覚えちゃってたりするかもしれません(笑
勉強はからっきしダメな息子ですけど、何で才能が開花するかわかりませんもんね。
いろいろやらせてみて、考えさせるという意味では、とてもいい宿題でした。
野球も料理も、親父を超える気がしてなりません。
いや、そう簡単には越されないように、自分もまだまだ頑張っていきますよ。
いつか「その煮込み、うちの息子が作ったんですよ。」なんてお出しするときがあるかもしれません。
「こっちのほうが旨いよ!」と言われないように、今日も真剣に煮込んでます(笑
外は一気に白銀の世界。
雪のない鶴岡…なんて淡い期待も、雪が降らないわけがありません。
その寒さがあるからこそ、煮込みが余計に旨く感じます。
冷えた体には熱燗がジワーッと浸み渡ります。
自分なりの冬ならではの楽しみ方を見つけて見ませんか。
で、本日は、すでに満席となっております。
ご来店前にはお電話にてご確認くださいませ。
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毎度ありがとうございます!
日曜日に開催された母校野球部OB会総会・懇親会は、今年も懐かしい顔が並び
終始和やかに楽しく賑やかに開催することができました。
なかでも、初めての参加という秋田に住む1コ上のタダシさんが出席してくれて、
自分たちの卓だけ、異様に盛り上がったテーブルだった気がします。
夏の甲子園出場の際に、甲子園のアルプスで30年ぶりの再会は果たしていましたので、
懐かしさというよりは、この歳になって一緒に酒を飲める楽しみのほうが強かったんですよね。
地元にいるマナブさん同様、当時の地獄のような寮生活の中でもとても優しい先輩で、
後輩をイビったりぶん殴ったりはしない、本当に温厚な先輩だったんです。
おそらく、後輩をシメるなんてことはなかったですもんね。
・・・唯一、自分を除けば(笑
やられた自分ははっきりと覚えてますけど、タダシさんは覚えてないだろうなぁなんて思っていたら
隣にいた神奈川のハヤシさんに「タダシは後輩をシメたりしなかっただろ。優しいから。」
「そうですねー。唯一、一回だけシメのはコイツぐらいですかねー(笑」
「そうっスよね。ハハハ・・・。」
そうなんですよ。
当時の先輩方の中でも「仏のマナブ」「仏のタダシ」と言われるくらい温厚な先輩ツートップが、
唯一手を上げた後輩が自分だけなんですから、これはもう貴重な経験としかまとめられません(笑
もちろん、なぜタダシさんにシメられたのかは、はっきりと覚えています。
それは、他の先輩にシメられている最中に、クサヅラをぶっこいたから。
もうね、時効だから言いますけど、当時のシメには理屈というか正論なんてものはなく、
そのほとんどが理不尽極まりない理由でシメられてばかりだったわけです。
「チッ!早くやって終われよ。」と顔に出ちゃったのをタダシさんが見ていたわけですよ(笑
でも、逆にタダシさんも覚えていてくれて、その昔話で一気に酒の量が増えましたもんね。
レアな二人が揃ったわけですから、記念にツーショット写真をパチリ!
ほんと現役時代にはお世話になりました。
可愛くない後輩で本当にスイマセン(笑
あの時のことは、これからも絶対に忘れません!(笑
大人になって、こうしてお酒をご一緒できて嬉しかったです。
時間とタイミングが合えば、また球場に足を運んでくれるそうですので、
またスタンドでご一緒できる日を楽しみにしております。
楽しく笑って語った、いい夜でした。
と同時に、この二人にやられた当時の自分を思い返すと、つくづく自己嫌悪に陥ります(笑
ま、そうやって先輩方に鍛えてもらって、大人になっていったのかもしれませんね。
あざっす!したっ!m(_ _)m