-
毎度ありがとうございます!
今日は、お袋の命日です。
亡くなってから2年、本当にあっという間です。
日々の忙しさの中でも、どこか心の中に宿っているというか、胸の中に生き続けているような
感覚を、今でも実感することが多々あるんですよね。
今年は雪がないおかげでお墓まで入っていけそうですんで、明後日に卒業式を控えた娘と、
埼玉への進学の報告も兼ねて二人でお墓参りに行ってきます。
そして、今日はもうひとつ、市役所で実印の印鑑登録の変更にも行く予定です。
実は今まで、実印と銀行印が同じ印鑑だったんですね。
まったく不便はなかったんですけど。
若い頃に、手彫りで作った象牙で少し太めの印鑑なんですけど、先日、
もっと太くてフルネームの実印が欲しくなって、ついつい衝動買いしてしまいました。
太さ18mmにもなると、やっぱり迫力が違いますね~(笑
自宅の購入も終わってますし、これからはそんなに実印を捺す機会ってあまりなさそうですけど、
せっかく作った印鑑ですから、大安吉日の今日を選んで実印として登録してきます。
フルネームで彫ってもらったんで、名前にある【徳】という字も、親父の名前にある旧字の【德】と、
一画多い方の字画で作ってもらい、なんだか少し身の引き締まる想いもあります。
で、今まで使っていた実印の印鑑ケースもくたびれてきたんで、この機会にと、
新しい印鑑ケースを購入してリフレッシュさせることにしたんですね。
新しい実印は、鶴商カラーの緑の革製ケースに決め、
今までの実印は今度は銀行印としてだけに使う用途に合わせて、
ズバリ一万円札をデザインしたケースに決めました。
これ、一目で銀行印が入ってるってバレバレなんで、
もしも泥棒が入ったらすぐに持っていかれそうです。
ま、盗まれるほどの大金もありませんけど、念のため
厳重に自宅の奥にでも保管しておきましょうか(笑
どちらも、いい買い物ができましたんで、本当に大満足してます。
さーて、気がつけば2月も今日で終わり。
本当に、日々、一日一日が早いです。
3月も、娘の新生活に向けての準備に追われ、きっとあっという間に過ぎていくことでしょう。
今日も一日、頑張りましょう!!
-
毎度ありがとうございます!
昨日は、娘のリクエストで「永遠の0」を観に、カミさんと3人で【鶴岡まちキネ】に行ってきました。
単刀直入に言うと「男たちの大和」同様に、心打たれたいい戦争映画だったと思います。
(まだ観ていない方は、若干ネタバレもありますのでご注意ください。)
自分は基本的に、映画は「娯楽」エンターテイメントだという思いが強いんですよ。
スポンサーがあって、決められた尺に情緒感溢れる主題歌が流れ、感動的なセリフがあって・・・。
内容的には、「アルマゲドン」と一緒なんだと思うんですね、失礼ながら。
地球や国の危機のために、主人公が命を投げ出して死に向っていく使命感と悲壮感というストーリー。
映画やドラマの内容すべてを鵜呑みにはして観てはもちろんダメだと思うし、
知識や教養を得るのなら、やっぱり活字を読まないとダメだと思うんですね。
でも、「戦争という紛れもない過去があって今の自分達が生きている。」というメッセージは
十分に感じることができました。
なぜなら、自分の親父も兵士として出兵していたからなんです。
大正12年生まれの親父は戦争時にはバリバリの成人男子ですから、実際に出兵し
陸軍第七師団歩兵第26連隊に所属し、帯広で終戦を迎えたと聞いたことがあります。
東北から集められた若者たちは、北海道の戦地に赴くことが多かったそうで、
函館、旭川、帯広と移動していったそうなんですね。
戦艦大和や零戦に乗る特攻隊員のような、死を覚悟した出兵だったのかは分かりません。
資料によると、北海道を拠点とする第七師団は総兵数1万人とも言われ、
満州やガナルカナル島やアッツ島での戦火の拠点となった場所でもあり、
実際に帯広には空爆があったことなどから、想像を絶する覚悟で出兵したことは想像できます。
親父が生きているときに戦争の話しを何度かしたことがあったんですけど、
戦時中のことは、あまり多くを語ろうとはしなかったんですよね。
ただ、北海道や帯広の人たちにはお世話になった、といつもいつも言っていました。
自分が、高校3年になって思いつたかのように「北海道の大学に行かせてくれ。」と言った時にも
親父だけは反対しなかったのは、なにか運命的なものを感じていたのかもしれません。
今の時代の生活が当たり前のように生まれ、当たり前のように生きてきたけれど、
戦争という壮絶な時代が確かに70年前に実際にあって、その上に今があるということ、
おじいちゃんは実際に兵隊として、お国のために家族のためにと戦地に向かったんだよと、
この事実だけは子供達に伝えていかなければならないと思ってます。
もしも戦争で親父が死んでいたら、今の自分はいません。
映画を観ていて、現代に生きる孫たちが特攻隊だった祖父のことを調べ、
たくさんの特攻隊の生き残りの人たちに話を聞いていくストーリーは、
特攻隊で死に行く悲壮感や、エンディングに流れる美しいメロディよりも、
実際に戦争に行った自分の親父がどんな想いで戦争と向き合って
その後を生きてきたのか、ということを無性に知りたくなったんですよね。
劇中、主人公が最愛の妻に向かって何度も繰り返す「必ず戻ってきます。」というセリフよりも、
「私たちだけが特別なのではない。あの当時、一人ひとりに同じような物語があった。
ただ、みんな、何事もなかったように生きているんだ。それが戦争で生き残ったということなんだ。」
と語る生き残った祖父の言葉に、この映画のすべてがあったように思いました。
実際に戦地に向かった自分の知らない親父の姿と重なって、心揺さぶられた映画でした。
いい映画でした。
また観たい映画でした。
是非、お勧めいたします。
-
毎度ありがとうございます!
娘の試験結果が出るまで、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていたんですけど、
昨日結果が出て、埼玉の看護学校に進学することになりました。
地元にある看護学校は残念ながら不合格でしたけど、埼玉の看護学校の方も
6倍近くの難関を突破しての合格ですんで、堂々と胸を張って頑張って欲しいと思ってます。
親孝行な娘で、経費的な面を考えて地元の看護学校を第一志望にしてくれていたせいか、
なんとなく、まだまだここで一緒に暮らすイメージしかなかったんですけど、現実的に
4月には埼玉に送り出すのがちょっと寂しいし、親として心配な想いもたくさんあります。
本人はサバサバしてて「ちょっくら外も見てきます。」なんて笑って話してましたけど、
となりでカミさんがポロポロ泣いちゃってるんですよ(笑
気持ちは痛いほど分かりますし、正直、自分も寂しいですよ、そりゃ。
でもね、同じ結果だったとしても考え方をちょっと変えてみるだけで、
現実の受け止め方も大きく変わってくるものなんですね。
もしも、地元の学校の結果が先に「不合格」と出ていて、そのあとに倍率6倍の埼玉の結果が
「合格」と出たら、きっと「よかった!よかった!」と大喜びしてるハズなんですよね。
第一志望か第二志望かの違いはあるにせよ、看護師になるための道はここから始まるんです。
ここがゴールじゃないんです。
決勝で負けて「銀メダル」になって、表彰台で悲しい顔してるヤツよりも
堂々と光り輝く「銀メダル」ぶら下げて、ここから新しい生活をスタートできればいいんです。
いや、銀だと思っていたメダルが、あとから金だったことに気付くなんてこともありますしね。
自分も高校受験に失敗して、野球のセンスもないのに鶴商で野球部に入ったわけです。
それなりに敗北感と悲壮感もあったけれど、辞めずに最後まで続けることができた。
「銀」・・・いや「銅」以下だと思って入学した鶴商だったけれど、今の自分にとっては
「金」以上の輝きと価値あるものだったと、本気で思っています。
人生、すべて近道できるわけじゃない。
遠回りだと思っていることが、実は後から見れば
最善の道だったりするんですね。
思った通りにいかないからこそ、人は物事を考え
周りを見渡し環境に順応していくんです。
恩師、田中先生にも二人でゴルフをしながら、よくそんなことを教えて頂きました。
ピンまで最短コースで狙う自分や、ミスショットのたびに嘆く自分を見て、
「イシカワ。急がば回れだ。周りをよく見てみろ。反対側は、あんなに広いぞ。」
「ひとつのミス=ボギーじゃない。パーチャンスは、まだまだたくさんある。」
「ティグランドに立ったときにイメージするプランは、上手くいかなくて当たり前と思え。」
娘にとっても、親元を離れ寮生活をしながら、実習や看護師資格取得を目指していくのは、
言い表せない不安もたくさんあると思います。
でも、その先にある目標に向って、しっかりと自分の足で歩いていって欲しいと思います。
看護師になりたい学生はたくさんいるのに、医療の現場では看護師不足が叫ばれていて、
実際に看護学校に入学し看護師になれるのはひと握りしかいないという現実に、
言いたいことはたくさんたくさんありますけど、それはまたいつの日か。
今は残り少ない娘と過ごす時間を満喫したいと思っています。
今日は、娘と息子と3人で、お昼はラーメンでも食いに行こうかなヽ(´∀`)ノ .:。+゜。
合格、おめでとう゚+.(o´∀`o)゚+.゚
-
毎度ありがとうございます!
自分は26歳で商売をはじめてから今まで20年間、学生アルバイトとの繋がりが深く、
数え切れない学生を面接してきましたし、一緒に働いてきました。
「アルバイトと云えども働く以上は、お金を稼ぐプロなんだぞ。」と
口癖のように言ってきたし、社会人と同様に接してきたつもりです。
先週の土曜日に、酒田の大学に通う学生アルバイトに、学校帰りに
酒田でしか買えない日本酒を1本買ってきて欲しいと、
電話でおつかいをお願いしたんですよ。
2000円ちょっとの金額でしたんで、
後で精算するから一旦立て替えておいてくれと。
買ってきた日本酒を受け取って、
「ありがとうな、助かったわ。いくらだった?レシートは?」
「あー、2000円ちょっとです。レシートは無いっス。」
「はぁ?なんでレシート無いんだよ。」
「いや、要らないと持って捨てました。」
「うーん・・・。一応レシートは持ってくるだろ、普通は。」
「2200円っスけど。」
「金額の大きい小さいじゃなくて、おつかい頼まれて後で精算するからって言われたら、
普通はレシートも一緒に持ってくるだろ、お前。」
「そうなんスか。ふーん・・・」
「・・・。」
ぶっ飛ばしたい衝動をグッとこらえてお金を精算し、「今度はレシート捨てるなよ。」と
優しく諭してその場はやり過ごしたんですね。
そしたら、そのお酒がその日に完売してしまって、再度おつかいをお願いすることになったんです。
「酒、持ってくるの、水曜日でもいいっスか。」
「ああ、いいよ。もう在庫ないから、じゃ水曜日に必ず頼むな。」
なんて話していて、昨日の水曜日・・・。
21時を過ぎても全然持ってくる気配がないんで、心配になってこっちから電話したんですよね。
「お前、いまどこにいるんだ?」
「自分は今、家っス。」
「あれ?お前、水曜日に日本酒持ってくるって言ってなかったっけ?」
「あー、アレっすか。持っていくの土曜日でいいっスか?」
「買うの、忘れたんか。」
「いいえ。買ったんですけど、ちょっと面倒臭くなっちゃって・・・。」
「こっちが頼んだんだから無理は言えないけど、それならそれでお前からオレに連絡しろよ。
なんで頼まれたお前が勝手に土曜日って決めてんだよ。」
「はぁ、すいませんス。。。それと明日、頼まれていたシフト、無理っス。」
「なんだよ、急に。それはこっちも困るって!明日は代わりいないんだぞ。」
「いやぁ、サークルの飲み会入ったんスよね~。」
「・・・。」
こんなのばっかですよ、近頃の若いヤツらは。
オレから連絡しなかったら、どうするつもりだったんですかね。
酒の件も、シフトの件も。
もうストレスで胃に穴があきそうですわ。
でも、今日も頑張りますけどね。
ムカついてますけど。
-
毎度ありがとうございます!
昨日、息子の担任の先生から連絡があって、「熱が出て具合悪そうなんで迎えに来てほしい。」と。
熱と言っても37.1℃でしたけど、クラス全体でインフルエンザが大流行しているそうで、
医者に行くため早退させることにしたんです。
今朝になっても熱は37.1℃だったんで、インフルエンザではなさそうなんですけど、
少し咳が出ますんで大事をとって学校は休ませることにしました。
朝食は、バナナ一本だけ。
そして朝からDVDなんか観てのんびりしちゃってます┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ
後でガッチリ追い込んでやりますけどね。ケケケ。
そういえば、昨日は節分でした。
昔から、豆まきはしてましたけど、恵方巻きの風習がなかったから、未だに違和感がアリアリです(笑
もともとは関西の風習だった恵方巻きを初めて知ったのは、今から16年前、はっきり覚えています。
当時の商品名は【丸かぶり寿司】といって、なんのこっちゃさっぱり分からなかったもんです。
その頃は函館でコンビニ経営をやっていて、本部SVと新商品の打ち合わせをしていた時でした。
「来週は節分ですんで【丸かぶり寿司】っていう太巻きをドーンと並べてみましょうか。」
「なに、それ?丸かぶり寿司ってなんなの?」
「なんか、関西では吉方を向いて太巻きを一気食いして、福を呼び込むんだそうです。」
「ふーん。函館で、そんなの知ってる人なんかいるの?」
「誰もいないと思いますけど、一応新商品ですから、20本発注してみましょうよ。」
「うーん。。。」
吉方向に向うとか、一気に食うとか、作法も知らなくて、何となく手探りで食った記憶があります。
お昼を買いに来たガテン系のお兄ちゃんたちがカップラーメンと太巻きの組み合せで買っていて、
方向も何も関係なく外でラーメンと一緒に食ってたもんです(笑
そのくらい、北海道でも馴染みがまったくなかったんですよ。
それが、今や【恵方巻き】となって、完全に2月の季節商品の市民権を得ましたもんね。
昨日、ニュースでやってましたけど、恵方巻きが全国に普及した背景には、コンビニの全国展開と
それまでヒマだった2月の販売商戦に取り組んだスーパーの力が大きかった、なんてやってました。
あの時、初めてコンビニの店頭に並べた20本の恵方巻きは、結局5本しか売れませんでしたから、
こんな風に当たり前のように食う文化が根付くとは、自分自身、全く想像出来なかったですもんね。
大体、喉が詰まりそうで食べづらいし、一気に食っても美味しくないし、すぐにお腹一杯になるし、
なにより無言で黙々と食べるだけだから、みんなで食べても全然楽しくないんですよね。
まぁなんにせよ、それで福がやってきて幸せになれるのなら、
お安い御用なんですけどね。
それより、みなさんちゃんと方角、合ってます?
我が家はいつも、適当です(笑
それじゃ、福も来るわけないか゜゜(´□`。)°゜
-
毎度ありがとうございます!
2月だというのに、10℃近い気温に連日の雨で、雪が全くない鶴岡です。
46年生きてきて、こんなに雪のない2月の鶴岡は初めてかもしれません。
娘の受験の結果も、なんとか一次試験に合格しこれから二次面接がありますので
最終的に結果が出るまではあと二週間はかかります。
なかなか精神的に落ち着きませんけど、無事に合格できるよう祈るだけです。
そんな中、もうすぐソチ五輪が始まりますよね。
冬季オリンピックというと、やっぱり長野のジャンプ団体の金メダルが一番印象に残ってます。
今でも、たまにあの時の映像が流れたりすると、条件反射的に涙が溢れてくるんですよ。
前回大会リレハンメルの雪辱を果たした原田のジャンプも、もちろん感動的なんですけど、
その陰にいた25人の試験飛行員(テストジャンパー)たちの物語・・・。
みなさんもご存知だと思うので、ここでは詳しく書きませんけど、
吹雪のため一時中断となっていたところを、元代表選手の西方選手はじめ
25名のテストジャンパーたちが悪天候のなか次々と命がけで飛びだしていき、
何とか競技再開にこぎつけ、二本目の原田の大ジャンプを呼び起こしたという、
まるでドラマのような感動的な裏舞台。。。
金メダルが確定してインタビューされた原田が「オレじゃないんだ、みんななんだよ、みんな・・・。」
という言葉は、リメハンメル大会で大失速した原田に金メダルをもたらした船木・岡部・斎藤のこと
だと思ってたんですけど、陰で支えたテストジャンパー25名のことも指していたんですね。
そして、この時の原田が代表落ちした西方のアンダーウェアと、
同期葛西のグローブをつけて、あの137mの大逆転ジャンプを
やってのけるわけですから、まさに男の中の男ですよ。
こういう体育会系の【縁の下の力持ち】的な逸話は、
涙腺の弱いおっさんにはダメですね。
いつでもどこでも、すぐ泣けます、はい(笑
鶴商野球部時代の自分も、レギュラーではなかったし、現役最後の試合も出場することなく
一塁コーチャーボックスで現役生活を終えました。
自分でいうのもおこがましいですけど、最後の夏はスタメンはないと思ってましたから
チームの中で自分が何が出来るのか・・・を考えて自己犠牲じゃないけれど、
裏方に自信を持って取り組んでいた自負はあります。
その影響が強かったのか、いまの仕事、飲食業も云わば裏方業なんですよね。
お客様の楽しそうな笑顔や「美味しい!」の一言のために、見えないところで努力する。
ご夫婦や家族でいらっしゃる方や、仕事帰りに一杯ひっかけていくのが楽しみな方や、
月に一度は職場のみんなで来てくれる方々や、仕事に行き詰ったときに来る方や、
お客さまのシーンは、人それぞれ千差万別なんですね。
みなさんそれぞれが楽しく時間を過ごせて、また明日からの活力を養えるよう、
いつもと変わらず美味しいと言っていただけるように、今日も自分なりに頑張るだけです。
派手なチラシや、過剰な雑誌広告は載せません。
煮込みとホルモン、やきとんだけの不便で小さなお店です。
そんな「やんちゃ」を楽しみにして来てくださる方がいると思うことが、
日々自分にとっての励みになります。
今日も「煮込み」をコトコト煮込みながら、いつもの場所でのんびりとやっております。