やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ
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毎度ありがとうございます!

日曜日に開催された母校野球部OB会総会・懇親会は、今年も懐かしい顔が並び
終始和やかに楽しく賑やかに開催することができました。

なかでも、初めての参加という秋田に住む1コ上のタダシさんが出席してくれて、
自分たちの卓だけ、異様に盛り上がったテーブルだった気がします。

夏の甲子園出場の際に、甲子園のアルプスで30年ぶりの再会は果たしていましたので、
懐かしさというよりは、この歳になって一緒に酒を飲める楽しみのほうが強かったんですよね。

地元にいるマナブさん同様、当時の地獄のような寮生活の中でもとても優しい先輩で、
後輩をイビったりぶん殴ったりはしない、本当に温厚な先輩だったんです。
おそらく、後輩をシメるなんてことはなかったですもんね。

・・・唯一、自分を除けば(笑

やられた自分ははっきりと覚えてますけど、タダシさんは覚えてないだろうなぁなんて思っていたら
隣にいた神奈川のハヤシさんに「タダシは後輩をシメたりしなかっただろ。優しいから。」
「そうですねー。唯一、一回だけシメのはコイツぐらいですかねー(笑」
「そうっスよね。ハハハ・・・。」

そうなんですよ。
当時の先輩方の中でも「仏のマナブ」「仏のタダシ」と言われるくらい温厚な先輩ツートップが、
唯一手を上げた後輩が自分だけなんですから、これはもう貴重な経験としかまとめられません(笑

もちろん、なぜタダシさんにシメられたのかは、はっきりと覚えています。
それは、他の先輩にシメられている最中に、クサヅラをぶっこいたから。

もうね、時効だから言いますけど、当時のシメには理屈というか正論なんてものはなく、
そのほとんどが理不尽極まりない理由でシメられてばかりだったわけです。
「チッ!早くやって終われよ。」と顔に出ちゃったのをタダシさんが見ていたわけですよ(笑

でも、逆にタダシさんも覚えていてくれて、その昔話で一気に酒の量が増えましたもんね。

レアな二人が揃ったわけですから、記念にツーショット写真をパチリ!
ほんと現役時代にはお世話になりました。
可愛くない後輩で本当にスイマセン(笑

あの時のことは、これからも絶対に忘れません!(笑
大人になって、こうしてお酒をご一緒できて嬉しかったです。

時間とタイミングが合えば、また球場に足を運んでくれるそうですので、
またスタンドでご一緒できる日を楽しみにしております。

楽しく笑って語った、いい夜でした。

と同時に、この二人にやられた当時の自分を思い返すと、つくづく自己嫌悪に陥ります(笑
ま、そうやって先輩方に鍛えてもらって、大人になっていったのかもしれませんね。

あざっす!したっ!m(_ _)m

毎度ありがとうございます!

今週末のOB総会の資料もなんとか完成し、ようやく少しの時間ですが一息つけそうです。

今年のOB会には同期6人が出席しますので、例年になく賑やかになりそうで、
今から楽しみにしています。

神奈川からはクリハラ、小国からはタケウチ、そして山形で単身赴任しているマルコに
地元組がキャプテン・ワタル、Mrボーク・アイタ、そして自分というメンバー。
ここに、秋の東北大会で再会したイケダが加わればもっと最高だったんですけど、
仕事のため残念ながら欠席という連絡が入ってました。

同じ釜のメシを食った仲間ではありますけど、高校時代はいろいろありすぎて、
ここではとても語れる話しばかりじゃありません。
とても口では言えないことを、本当に地獄のような日々を過ごしただけに、
上が引退してからは随分とみんな好き勝手にやっていた気がします。

キャプテンに任命されたワタルが、そんなチームをまとめようと頑張れば頑張るほど、
犬以下の扱いを受けてきた自分なんかは、そんな綺麗事な提案にはことごとく反発してましたし、
一番衝突した相手かもしれません。

中学から一緒のアイタとも、投手として結果が出ず同じ一塁手として出場する彼を、
随分と妬んだ気持ちのままコーチャーボックスに立っていた記憶があります。

他人の事なんか一切関係なく我が道を行く、自由奔放なタケウチの性格を羨ましく思ってましたし、
先輩の洗濯やマッサージに忙しく、真夏でもお互い一週間も風呂に入れなかったマルコにも、
いつも心が救われていたのも正直な気持ちです。

同じ商業科だったクリハラとは、現役時代よりも引退してからの方が付き合いが濃くなりました。
横浜出身の彼の周りには、いつも賑やかな寮生がいたこともあって、鶴岡しか知らない自分なんかは、
何気ない会話やセンスに随分と影響も受けたし、横浜や東京という大都会に初めて憧れを持つ
きっかけにもなった気がします。

高校を卒業し、それぞれがいろんな場所でいろんな経験を積み、今ではみんな父親になり、
仕事でも責任のある地位につき、家族を見守り支える大黒柱としての日常があるわけです。

そんな平凡な日常の中で、いつでも鶴商OBを意識して生活しているわけではありません。
まぁ、自分の場合は役目がら、人よりも意識する時間が多いかもしれませんけど(笑

数年に一度でも、こういうきっかけで同期が集まることに、OB会費を払うとかスタンド応援するとか、
そういう直接的なことよりも、昔の自分から今の自分のいろんな感情が呼び起こされることの方が、
それぞれの日常に戻ってからの効果が大きかったりするもんなんですね。

ただがむしゃらにボールを追いかけて、朝から晩まで一緒に生活した
仲間との再会は、平凡な日常に大きな活力を与えてくれるはずです。

不思議なもので、高校時代にあれほど嫌いだった1コ上の先輩とも、
今では同期以上に親しくさせてもらってますし、昔では考えられない
会話が出来るのも、お互いが大人になったからなんでしょうね。

もちろん、そんな生意気な後輩を受け入れてくれる先輩の心の広さに感服してますよ、表向きは(笑
もうね、お互い、いい歳こいたおっさんなんですから。
ガツガツした関係は、身体にも精神的にもよくありませんw

去年は、現役時代はまともに口も利けなかった2コ上の先輩方と、本当に楽しい時間を過ごしました。
今年は、同期が大集合!どんなOB会になることやら。

そのためにも、自分の仕事を、普段の日常を大切に頑張るだけです。

というわけで、早速、雪かきしてきます!
腰痛注意で頑張ります!オッシャー!
毎度ありがとうございます!

今日は8月8日、田中先生の命日です。
気がつけば3年という時間も、本当にあっという間ですよね。

いつもブログに書く田中先生との思い出は、大体が野球以外のことばかりです(笑

というより、現役時代は個人的に何かを話すなんて場面もありませんでしたし、
バッティング練習にしても「します!」「大振りするな!バカタレが。」「したっ!」で終わり。
会話なんて、あるはずもありません。

普段は社会を教えていた田中先生ですが、これがまた教科書を読んで黒板に書くだけの
まったく面白くもなんともない、恐ろしく眠くなるだけの授業なんですよね(笑

が、クラスの中に野球部が自分ひとりだけだったせいか、事あるごとに「イシカワ、答えろ。」と
突然当てられるんで、人一倍眠くなる授業なのに絶対に寝れないという地獄の時間だったわけです。

卒業も近くなったある日の社会の時間、「今日は教科書は開かんでいい。」なんて
田中先生にしては珍しい展開で授業が始まりました。

「寝たいやつは寝ていい。うるさくはするな。いいか、わかったな。」
他の生徒達が「ラッキー!」なんて言ってても、自分は安心できません。
何かしら裏があるんだろうと、正直警戒していたんですね。

教室の窓辺に寄りかかり、時折、遠くに見える月山を眺めながら、静かに先生が話し始めたんです。

「オレは、子供の頃、スキーのジャンプの選手になりたかったんだ。」

「うそ~、マジで?」
「絶対に、飛べないでしょ。」
「先生、スキーなんて、できんの?」

などと調子こく女子を、「こいつら、あとで先生にぶっ飛ばされんぞ。」などと心の中で思いつつ
いつもとは違うテイストの授業に、自分ももう寝るどころではなくなっていたんですよね。

秋田県大館市出身の先生は、子供の頃に夏は野球、冬はスキーをやっていて、
どちらもそれなりにセンスがあって本気で取り組んでいたそうなんです。
結果的に、野球で大学に進学し、教員になったわけですから「その生き方に悔いはない。」
と言い切る言葉には、なんの迷いもないように聞こえました。

「でも、人の生き方なんてひとつじゃないんだ。お前達には可能性がある。
 ひとつ失敗しても、また次に頑張ればいい。最後に自分が幸せだと思えるかどうかなんだ。」

三年間、野球部と社会の授業でお世話になった田中先生の言葉のなかで、
なぜかしらあの日の授業の話しが今でも鮮明に頭から離れないんですよね。
もしかしたら、高校時代の三年間で一番心に残っている言葉かもしれません。

いや、先生の言葉と言うより、あの窓から遠くを眺めながら、違う生き方をしていたかもしれない
自分の面影を想像していた先生の表情が、忘れられなかったのかもしれません。

なぜ、あの日、あんな話しを始めたのか、大人になってもずっと気になっていたんですよね。

ひょっとしたら、先生は学校を辞める気なんじゃないかな、なんて思っていた時期もあります。
学校を退職されたあと、二人でゴルフの練習中にふと直接聞いたことがあるんです。

「なにも、ない。授業が進みすぎたから、ただの時間調整。」と笑っていましたけど、
「誰にも話したことなかったのに、そんな話ししたか?」
「・・・は、はい。(泣」

でもいいんです。
あの日の、あの言葉と、先生のあの表情を忘れずに、自分も頑張ってきましたから。

「最後に、自分が幸せだと思えるかどうかなんだ。どの道に進んでも頑張るように。いいな。」

先生・・・。
人生の答えを出すにはまだちょっと早いけど、ちゃんと頑張っていますよ。
いろんな仕事をして、落ち着きなく生きてきましたけど、
ようやく自分の道を見つけて、今が幸せだと感じながら生きています。
 
まだまだ、みんなと一緒にゴルフ行きたかったですね。

やっぱりそっちに逝くの、早過ぎましたよ、先生。

また、先生との思い出話しを書かせてもらいますね。

 
毎度ありがとうございます!

昨年あたりから、自宅北側の外壁ボードが傷んできていることに気付いていて、
応急処置的に同級生のアイタにパテ埋めと外壁塗装をお願いしたんです。

アイタとは中学・高校と6年間チームメイトでした。
小学校の頃は別の学校でしたけど、その評判は他校の自分達にも聞こえてくるほどの
いわゆる「怪童」「怪物」といわれる野球少年だったんですよね。

もちろん中学に入ってもすぐに上級生に混じって試合に出ていましたし、
グラウンドにプロのスカウトが視察にきていたこともあったくらいです。
ここでは書けませんけど、高校入学時にも凄いエピソードを引っさげて、
鳴り物入りで入学したという、本当に期待されていた大型左腕投手だったんですよ。

田中先生も、アイタの入学には手ごたえを感じていたようで、チーム力では投打のバランスが良かった
自分達の1コ上の代に甲子園を狙っていたのは、誰の目から見ても明らかに感じれました。
実際には3回戦であっさりと負けてしまって、翌年の夏に自分達が準決勝まで勝ち上がってもまだ、
「去年のチームで狙いたかった。」なんて未練タラタラのコメントをしてたくらいですからね。

今のように、大会日程に余裕がなかった時代ですから、いい投手が2枚いるチームは
断然有利だったわけで、そういう意味でもアイタの出来にはチームの明暗が懸かっていたわけです。

ただ昔から、スピードは早いけど、コントロールがいまひとつだった。
ファーボールやデッドボールでランナーを溜め、ストライクを取りにいった甘いストレートを狙われ
タイムリーを打たれるという繰り返しだったんですよね。

最後の3年の夏は、肘だか肩を痛めていて、ファーストでの出番しかなくなってました。
守備では自分も自信があったけど、アイタほど打てなかった自分は出場機会がなくなりました。
それでも、一塁コーチャーとして挑んだ最後の夏は、何となくそのポジションにも満足していて、
自分の中にそんなに熱いものは無くなっていたのかもしれません。
それは、決してアイタのせいなんかじゃなく、自分の中で何となく冷めていたんでしょうね。

お互いが社会人になり、それぞれの道を歩きながら、
またこうして鶴岡に戻ってきて繋がっていることに、
幾つになってもくされ縁というか、やっぱり同じ釜のメシを食った
仲間という感覚が強いんですよね。

その分、アイタには無理も言いますし、わがままもたっぷり言います(笑

「今回も、ほとんど儲けが出ない仕事だぜ。」なんて愚痴ってましたけど、
それでも同期の特権をフルに使って、ガッチリやってもらいますよ(笑

この間、神奈川からヤマシタさんが来てくれたときにも、忙しい中、顔を出してくれました。
投手として期待されていたアイタを、田中先生に言われて上級生のヤマシタさんが
マッサージしていたエピソードにも全米が涙しましたもんね(泣

以前、住んでいた自宅やお店の外壁、今の自宅のガレージもアイタに塗ってもらいました。
なんだかんだ言いながらもちゃんとやってくれるアイタに感謝しつつも、
素直に「ありがとう。」と言わないひねくれた自分がここにおります(笑

今回こそ、ちゃんとお礼を言わなきゃ・・・。
いや、たぶん、言わないだろうな。

んー、なんか上手くまとまらないけど、まっいっか(笑



毎度ありがとうございます!

先週の金曜日、神奈川から鶴商時代の先輩ヤマシタさんが遊びに来てくれました。
高校卒業以来ですから約30年ぶりの再会です。

ヤマシタさんは嬉しいくらいに変わってなかったですね~。
残念ながら、野球部寮では同部屋にはなったことがないんですけど、
ヤマシタさんいるの部屋は通称「楽部屋」と呼ばれ、先輩特権のお菓子やカップラーメンが
食える部屋だったし、後輩にはたまらなく嫌だった「寝るまでマッサ」がない部屋として、
我々後輩の憧れの先輩でもあったんですよね。

でも、そんなヤマシタさんは楽な先輩というだけでなく、自分自身に厳しい先輩でした。

こう言っては失礼かもしれないけど、最後の夏はベンチに入れなかったんですね。
そんな自分の置かれている状況にいつも危機感を持って、一人黙々とバットを振っていたのも
知っていたし、誰よりもベンチに入りたくて努力していたことを知っています。

自分みたいな下手くそは、レギュラーで試合に出ている先輩よりも
ヤマシタさんのような先輩を身近で見てきてるんで、
どうしても自分と重ね合わせて感情移入しまうんですよね。

たまに出る練習試合でヤマシタさんがヒットを打てば嬉しかったし、
守備でちょこっと出るだけでも嬉しかったんですよね。

そして、最後の夏のベンチ入りメンバーが発表された日のことを、
今でも鮮明に覚えています。

最後まで名前が呼ばれなかったヤマシタさんにかける言葉もなく、いつものように
ビールケースに入れたバットを持ちながら、寮まで一緒に帰ったんです。

ベンチ入りメンバーから外れたヤマシタさんは、泣いていました。
それを見た自分も、思わず涙がこぼれました。

「努力は必ず報われる。」なんて簡単に人は言うけど、人一倍練習していたヤマシタさんが
ベンチ入りメンバーに選ばれなかった現実の厳しさに、かける言葉も見つかりませんでした。

だけど、30年ぶりでもこうしてまた会えて、お互いに元気な姿で肩組んで酒が飲めたことは、
言葉では言い表せないくらいに感動したし、嬉しかったし、楽しかった夜だったんですよね。

レギュラーにはなれなかった、ベンチには入れなかったかもしれないけど、
使命感のある仕事に就き、家族に支えられ、野球をやっている息子の将来を楽しみにして
今を生きるヤマシタさんの姿と、そんなヤマシタさんと一緒に酒を飲んでいる自分の姿に、
何ともいえない幸福感と、30年という時の流れを感じていました。

結局、何軒はしごしただろう・・・(笑

最終的に、小国から2時間かけて来てくれたタケウチと
3人で行った居酒屋を出たのが4時半。

外はすっかり明るくなっていて、眩しかったですもんね。

途中、何度も昔の話に感動して涙ぐむヤマシタさんの隣りで、
「泣ぐなって。もう終わったごどだべ。」なんて、アイツらしくタメ口で投げやりな言葉をかける姿に、
思わず「お前はホント昔からそうだよな。全然先輩と思ってねーんだもん、コイツは(笑」なんて
ツッコミ入れてるヤマシタさんとの掛け合いも、見ていて懐かしかったんですよね。

今年は、1月のOB会でも懐かしい2コ上の先輩方と30年ぶりの再会が出来たし、
なんか今年は、もう会えないだろうなと思っていた方々と会える「再会の年」になってます。

せっかく再会できたわけですから、このつながりとご縁を大切にしながら、
また今日からの自分の日常を頑張っていこうと思います。

ヤマシタさん、マナブさん、楽しい夜をありがとうございました。
また今度会えるときまで、頑張りましょう!

ヤマシタさんが「美味いよ、マジで。」と喜んでくれた煮込みを、
いつものように作りながら、今日も一日頑張ります!!


毎度ありがとうございます!

8月8日は、恩師田中先生の命日です。

あれから2年・・・月日の経つのは本当に早いものです。

2年前の8月8日、自分は家族とイオン三川で買い物をしていました。
7月27日に母校「鶴岡東」が30年ぶりの甲子園出場を決めてくれて、
その寄付金集めやOB会の取りまとめに奔走している最中だったんですね。

その日も、弾丸応援ツアーバスにウーロンハイを作って持っていくための【タンクジャグ】を
購入しに、甲子園モードで浮かれ気分でイオン三川にいたことを覚えています。

11時くらいに、田中先生の娘さんと同じ職場にいる後輩OBのマサヨシから電話が入って、
田中先生の訃報を聞かされました。
体調がすぐれないとは聞いていたんですけど、4日後には「智弁学園」との一戦が控えている
まさかこのタイミングでお亡くなりになるとは、夢にも思っていませんでした。

「えっ、なんで?ウソだろ、おい。なんでよ?」

そうとしか言えず、ショッピングモールの雑踏の中で、一人固まったように立ち止まってました。
とりあえず、OB会長や相談役に連絡し、何から手をつけていいのかすら分からぬまま、
帰路についたんです。

先生と一緒に、甲子園のアルプスに行きたかったです。
甲子園のアルプススタンドで、たくさんの教え子達に再会し喜ぶ姿を見たかったです。

あの夏は、自分の人生の中でも、すごく嬉しいことと、すごく悲しいこととが一気に押し寄せた、
激動の夏だったことは忘れられません。

それでも2006年に、高校野球OBチームによる「マスターズ甲子園」に出場するために、
鶴商学園OBたちと聖地甲子園の土を踏んで、ベンチに座ってもらえたことだけは、
事務局を務めた自分の誇りでもあるし、唯一の自慢でもあります。

選手がグランドに出るためのスロープや、勝利監督インタビューのお立ち台の位置や、
室内練習場の狭さや、その全てを饒舌に高潮した顔で語ってくれたのも嬉しかったです。

勝っても負けても一試合だけの、いわば思い出作りのイベントゲームにもかかわらず、
先頭打者のユウジに向って「ユウジ!ユウジ!」と叫んでいたんですよ。

甲子園の広いファールグランドに、スタンドのざわめきやブラスバンドの音楽やらで
その声はバッターボックスに向うユウジには届かず、隣にいた自分が

「ユウジに何か伝えましょうか。」
「うん。初球は必ず甘い球がくるから、初球から思い切って振っていけ!」
「了解です。おい!ユウジ!・・・」

田中先生の目は本気でした。
本気で勝つつもりでベンチに座っていたんです。

指示通りに初球を振ってファールになっても、
腕組みをして「よし。」と頷いていました。

この試合が遊びだ、イベントだ、なんてことは一切関係なく、
先生は現役時代の気迫そのままに甲子園のベンチにいたんです。

そんな先生の気迫ある姿に、ベンチ裏で汗を拭うふりして
溢れてくる涙を拭いてました。

そんな先生の元気な姿が、嬉しかった。
現役時代と同じような気迫ある先生の想いが、嬉しかった。

だからこそ、「今度は現役チームの応援で甲子園に行きましょうね。」と話していただけに
突然の訃報に、ただただ狼狽していた自分が思い出されます。

あっちでも、野球やってるんでしょうかね。
野球よりゴルフを満喫してるのかもしれませんね。
ゴルフもたくさん一緒に行きましたね。

また先生との思い出話しを、書いてみたいと思います。

お盆で、下に降りてきてるかな。
だったら先生、ゴルフ行きましょうか(笑

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