"家族"カテゴリーの記事一覧
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毎度ありがとうございます!
鶴岡公園にも、花見の出店がちらほら出始めましたが、
肝心の桜はまったくと言っていいほど咲く気配がありません。
この寒さでは、仕方ありませんね。
昨日は、おふくろの四十九日法要を行ないました。
長かった冬が過ぎ去り、当たり前のように春になって桜も咲きます。
世の中の景色が、いつもと変わらないスピードで流れていきます。
そんな日常の中に、おふくろの姿がないというのは、まだなんか不思議な気持ちです。
このブログを書きながら、ふと机の上の相田みつをカレンダーに目を向けると、4月は
子供へ一首
どのような 道を
どのように 歩くとも
いのちいっぱいに
生きればいいぞ
みつを
相変わらず、相田みつをの言葉は深いですよね。
おふくろが小学校に上がった頃に、妹の出産のあと産後の肥立ちが悪く母親が亡くなったそうです。
まもなくして父親も病気で亡くなり、兄・姉らとともに兄妹4人で育ってきた苦労人です。
親の面影が少なく育った分、親になったおふくろは子供たちに精一杯の愛情をかけてくれました。
そんなおふくろを、時にはウザく、時には恥ずかしく思った事もたくさんあります。
本気でケンカして泣かせた事もありましたし、自分のことを殴ろうと追いかけ回されたこともあります。
そんな自分もいつしか親になり、あの頃のおふくろと同じように子供に口出してる自分がいます(笑
それもこれも全部、愛情なんですね。
自分は、おふくろが一番毛嫌いしていた飲食店経営を生業として、今を生きています。
それは、誰かが決めた道じゃない。
自分で決めた道なんです。
証券会社・漁師・サラ金・ドコモショップ・コンビニ経営・やきとん屋・・・
ここに落ち着くまでには随分と遠回りもしたし心配もかけたけど、
きちんと自分のやりたいことを見つけて、今は充実した毎日を送っています。
これから先もどうなろうとも、そのときその時を精一杯生きていきます。
「大丈夫だから、心配しないでそこで見ていろ。」
さーて、これから側溝の泥上げをして、お気に入りの音楽でもかけながら
東根までラーメンでも食いに行こうと思ってます。
ところで、ペラリとめくった来月の相田みつをの言葉は・・・
「アノネ ひとのことじゃないんだよ じぶんのことだよ」
かぁーっ、来月も深いなぁ。。。(笑
素敵な休日をお過ごし下さい。
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毎度ありがとうございます!
偶然にも、今日も先生ネタです。
昨日、店から帰宅するとテーブルの上に息子が学校からもらってきたという、
一枚のカードが置いてあったんです。
その名も「ほめほめカード。」
中には、「かかり決めで、誰もやりたくない【注意係】をお願いしたら
引き受けてくれました。ありがとう!たすかります。」
どんな親でも、子供が褒められて嬉しくない親はいないと思うんですよ。
でも、何気ない日常の中の小さな出来事でも、きちんと褒めてくれる、見ていてくれるというのは
親が思うほど先生にとっては簡単なことじゃありません。
しかも、一人じゃなくクラス全員となれば、なおさらの事ですよね。
上の娘の小・中・高を通じても、そういうカードを作っていた先生は一人もいませんでした。
授業参観に行ってないんで、どういう先生なのか分からないんですけど、
「塾の講師」的な勉強を教えるだけの先生とは、なにか違う雰囲気が感じられます。
悪い事をしたら、本気で怒ってもらっていいんです。
なんなら、ゴツンとげんこつの一発も食らわしてもらってもいいんです。
「体罰だ。」なんて言いませんから。
そのかわり、良い事をしたら褒めてやってもらいたいんです。
勉強を教える事も大切だけど、そういうトコを伸ばしてくれる先生が最近は少なくなりました。
息子は「学校、超~おもしれ~。じゃあね、行ってきまーす!」って元気に飛び出していきました。
やっぱり、子供はこうじゃないといけませんよね。
息子に負けないように、自分も元気に頑張ります!!
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毎度ありがとうございます!
春休みになってから、3年生になる息子の興味は「キャッチボール」と「やきとん」のようなんです。
同級生のオノに貰ったジュニアのグローブがお気に入りで、毎日キャッチボールしています。
意外かもしれませんけど、自分的には息子にどうしても野球をやってほしい、
とかいう強い想いはまったくないんですよ。
そりゃ、もちろん「野球をやる。」と言ってくれれば嬉しいですけど、普段から言っているのは
「なんでもいいからスポーツはやって、友達や仲間をたくさん作ってほしい。」
それだけなんですよね。
そうは言っても自分も野球人ですから、ここ最近になって
「お父さん、キャッチボールやろうよ。」なんて言われると、嬉しいんですよ。やっぱり。
野球盤を買った効果もあったのかもしれません(笑
ま、「4年生になったら、オレ、サッカーやる。」なんて言ってますんで、今だけかもしれないですけど。。。
で、昨日はカミさんが仕事で、娘も友達と遊びに行ってしまい、おばあちゃんも用事があるとかで、
午後から夕方までやんちゃで仕込みしながら息子と過ごすことになったんです。
小腹が空いたらしくて「なんか食べたい~。」
なんて言うもんで、煮込みとやきとん4本を食べさせたんです。
よっぽど旨かったのか、「スゲーおいしい。これ全部、お父さんが作ってるの?」なんて興味深々。
挙句に「オレもそれやってみたい!」とレバーの串打ちに挑戦してみました。
串が手に刺さらないように注意しながら、
自分の脇で見よう見真似でやってましたけど、
なかなかセンスがいいんですよ(゚∀゚*)ノヽ(*゚∀゚)ノヤッター
持ってきたPSPでゲームをすることなく集中してましたから、
よっぽど面白かったんでしょうね、きっと。
最後は、息子の打ったレバー串を焼いて2人で食べました。
今まで食べたレバーの中で、一番旨かったです。
いつの日か「オレがやんちゃを継ぎたい。」なんて日が来ると、嬉しいんですけどね。
それまでもっともっと精進して、いつか息子の目標になれるように頑張りたいと思います。
「お前、やきとん屋なんて、やめとけ。」なんては、言いたくないですもんね。
まぁでもそれは、ずっとずっと先の話しです。
いつも通りに今日も煮込みに火をかけながら、あとで息子とキャッチボールでもするとしますか。
ってか、となりでもうPSPやっとるやないかーいε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
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毎度ありがとうございます!
昨日、3月26日は「結婚記念日」でした。
今年で10周年なんですけど、スウィートテンダイヤモンドなんてもんは用意しておりません。
でも、この10年という節目に何かプレゼントしないことには、カッコもつかないわけでして・・・。
ま、ささやかですけど、共に歩んできた時を大切に、これからの時も仲良く過ごそうということで
「時計」をプレゼントしました。
看護師という昼も夜もないハードな仕事ですけど、一生懸命に頑張っている姿を知っています。
お互いに家事は協力してやってますけど、自分は仕事がら洗い物なんかは苦になりませんから、
いい意味でバランスが取れているのかもしれません。
結婚当初は喧嘩もしましたけど、最近はほとんどしませんねぇ。
それと、付き合っていた頃からそうなんですけど、
手をつないだり腕を組んで歩いたことがありません。
今なら、子供達に「気持ち悪い~。」って言われるでしょうから、
あえて手なんかつながなくてもいいですけどね。
仕事、子育てに忙しかった10年だったように思います。
少し、ゆっくりと家族で旅行にでも行きたいと思うこの頃です。
そういえば、昨日はおふくろの四七日(よなのか)でもありました。
春休みに入ってる子供達を連れて、実家に線香をあげに行ってきました。
あれから一ヶ月経ったのか・・・。
思うところはたくさんあるけれど、今は成仏できるように無心に手を合わせるばかりです。
さーて、明日は息子の中間登校日です。
内ズックと外ズックを買いに行ってきます。
宿題の最終チェックと、持ち物確認と名札も準備しないと・・・
こりゃ、主婦ならぬ「主夫」ですな、完全に(笑
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毎度ありがとうございます!
3月11日。
日本人なら忘れることの出来ない日です。
死者15854人
行方不明者3155人
一瞬にして何気ない日常から、明日が、未来が、光がなくなった、無念の命です。
どの命も、生きるために最後の最後までもがいた尊い命です。
これまで、あの大震災を語るときに、影響の少なかった鶴岡に住む自分は、
命をなくす「死」ということよりも、自宅の崩壊や仕事を失う「物損」のイメージが強かったんです。
家がなくなったらどうしよう。
仕事がなくなったらどうしよう。
正直、本当に都合よく、そんなことばっかり考えてました。
自分が、家族が、一瞬にして死ぬという現実を考えられなかったし、
考えてみても具体的にイメージできなかったんですよね。
申し訳ないとは思うけれども、看護や介護の現場で日常から「死」というものに触れる仕事に
従事している方々でないと、やっぱり身内の「死」でしか実感ができないでいたのかもしれません。
母は1月28日に突然、末期の胆嚢ガンと診断され
「余命3ヶ月、早ければ1ヶ月もありえる。」と告知されました。
元気で健康だけが自慢の活発で活動的な母だったんです。
ある日突然、「あなたの大切な人は、あと数ヶ月で死ぬ。」と言われたら、あなたには何ができますか。
「本人には告知しない。」と兄姉で決め、本人には悟られないように冷静さを装っていました。
毎日、昼食時間を理由に顔を出して、「今日の天気はどうだ。」とか「誰々が見舞いに来た。」とか
そんな話しか出来ずにいた1ヶ月だったんです。
今まで本当に、ありがとう。
いつも心配してくれて、ありがとう。
産んでくれて、ありがとう。
ちゃんと意識のあるうちに、はっきりと伝えることもできませんでした。
本人に告知するべきだったのか、否や、その答えは今でも自問自答しています。
どんなに泣き、取り乱しても、自分の死を受け入れた先に、
最後に、逢いたい人はいなかったのだろうか。
最後に、伝えたいことはなかったのだろうか。
最後に、食べたいものはなかったのだろうか。
最後に、聞きたい唄はなかったのだろうか。
最後に、見たいところはなかったのだろうか・・・。
どうしてあげることが、最善の方法だったのか、今もって分かりません。
最後の48時間を一緒に過ごし、強く手を握り締め天国に旅立った母に、
聞きたくても、もう聞くことは出来ないんです。
震災で亡くなった方々と重ね合わせるには、あまりにも軽率かもしれないけれど、
大切な家族を亡くした遺族の悲しみは、みな同じだと思います。
「揺れだっけのぉ~。オメは大丈夫だろ。エミコさ連絡つがねなや~。困ったのぉ~」
去年の震災直後に電話で話した母は、やっぱり自分や仙台にいる姉のことを心配してくれてました。
そんな日常が続くことが、当たり前だと思ってました。
照れやカッコ悪さが邪魔をして、素直に言葉をかけれなかったり、手を差し伸べれなかったり、
後悔しても遅いことばかりなことに今頃になって気付かされます。
大きなことは出来なくて当たり前なんです。
近くにいる大切な家族に触れ合い、語りかけること、それだけでいいんです。
そんな想いで、3月11日のあの時間に黙祷を捧げました。
悲しみはまだまだ癒えないけれど、明日に向って力強く歩いていきます。
そして、また明日から気合いを入れて、頑張ります!
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毎度ありがとうございます!
やんちゃは元気に営業再開しております。
臨時休業中にご来店いただいた方々には、ご迷惑とご心配をおかけいたしました。
同級生をはじめ先輩や後輩からも、たくさんのご香典や弔電を頂戴いたしました。
喪主になり代わりまして厚く御礼申し上げます。
おふくろのことを振り返るには、まだもう少し時間がかかりそうです。
これから四十九日やら月命日やらで、その現実に触れたときにでも、
ゆっくり思い出話でも書いてみようと思っています。
ただ、改めて実感しているんですけど、
この歳ですでに両親を失くすというのは、
言い表しようのない寂しさが込み上げてきます。
親父より衝突してきたし、自分から距離を置いたこともあったけど、
おふくろは最後まで自分の事を可愛がってくれたんだなって実感しています。
何も親孝行してやれなかったかもしれないけど、この鶴岡に根を生やし、結婚をし子供も生まれ、
「気軽に行き来できるようになっただけで幸せだよ。」という生前のおふくろの言葉が
せめてもの救いかもしれません。
照れやカッコ悪さが邪魔をして、入院中のおふくろの手を握ってやることがなかなか出来なかったけど、
最後は自分の手をしっかりと握りしめて天国へ旅立っていきました。
まぁ、湿っぽくなるんで、今日はこの辺でやめておきます。
幸いにも、自分には兄姉もおりますので、これからも兄姉達と仲良くやっていこうと思います。
いつもの「やんちゃ」で普段と変わらず、いつも通りにお待ちしております。
気合いも入って、準備万端ですから。
さぁ、今日も一日頑張っていきましょう。
オッシャー!!!