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毎度ありがとうございます!
自分は26歳で商売をはじめてから今まで20年間、学生アルバイトとの繋がりが深く、
数え切れない学生を面接してきましたし、一緒に働いてきました。
「アルバイトと云えども働く以上は、お金を稼ぐプロなんだぞ。」と
口癖のように言ってきたし、社会人と同様に接してきたつもりです。
酒田でしか買えない日本酒を1本買ってきて欲しいと、
電話でおつかいをお願いしたんですよ。
2000円ちょっとの金額でしたんで、
後で精算するから一旦立て替えておいてくれと。
買ってきた日本酒を受け取って、
「ありがとうな、助かったわ。いくらだった?レシートは?」
「あー、2000円ちょっとです。レシートは無いっス。」
「はぁ?なんでレシート無いんだよ。」
「いや、要らないと持って捨てました。」
「うーん・・・。一応レシートは持ってくるだろ、普通は。」
「2200円っスけど。」
「金額の大きい小さいじゃなくて、おつかい頼まれて後で精算するからって言われたら、
普通はレシートも一緒に持ってくるだろ、お前。」
「そうなんスか。ふーん・・・」
「・・・。」
ぶっ飛ばしたい衝動をグッとこらえてお金を精算し、「今度はレシート捨てるなよ。」と
優しく諭してその場はやり過ごしたんですね。
そしたら、そのお酒がその日に完売してしまって、再度おつかいをお願いすることになったんです。
「酒、持ってくるの、水曜日でもいいっスか。」
「ああ、いいよ。もう在庫ないから、じゃ水曜日に必ず頼むな。」
なんて話していて、昨日の水曜日・・・。
21時を過ぎても全然持ってくる気配がないんで、心配になってこっちから電話したんですよね。
「お前、いまどこにいるんだ?」
「自分は今、家っス。」
「あれ?お前、水曜日に日本酒持ってくるって言ってなかったっけ?」
「あー、アレっすか。持っていくの土曜日でいいっスか?」
「買うの、忘れたんか。」
「いいえ。買ったんですけど、ちょっと面倒臭くなっちゃって・・・。」
「こっちが頼んだんだから無理は言えないけど、それならそれでお前からオレに連絡しろよ。
なんで頼まれたお前が勝手に土曜日って決めてんだよ。」
「はぁ、すいませんス。。。それと明日、頼まれていたシフト、無理っス。」
「なんだよ、急に。それはこっちも困るって!明日は代わりいないんだぞ。」
「いやぁ、サークルの飲み会入ったんスよね~。」
「・・・。」
こんなのばっかですよ、近頃の若いヤツらは。
オレから連絡しなかったら、どうするつもりだったんですかね。
酒の件も、シフトの件も。
もうストレスで胃に穴があきそうですわ。
でも、今日も頑張りますけどね。
ムカついてますけど。
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毎度ありがとうございます!
昨日、息子の担任の先生から連絡があって、「熱が出て具合悪そうなんで迎えに来てほしい。」と。
熱と言っても37.1℃でしたけど、クラス全体でインフルエンザが大流行しているそうで、
医者に行くため早退させることにしたんです。
今朝になっても熱は37.1℃だったんで、インフルエンザではなさそうなんですけど、
少し咳が出ますんで大事をとって学校は休ませることにしました。
朝食は、バナナ一本だけ。
そして朝からDVDなんか観てのんびりしちゃってます┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ
後でガッチリ追い込んでやりますけどね。ケケケ。
そういえば、昨日は節分でした。
昔から、豆まきはしてましたけど、恵方巻きの風習がなかったから、未だに違和感がアリアリです(笑
もともとは関西の風習だった恵方巻きを初めて知ったのは、今から16年前、はっきり覚えています。
当時の商品名は【丸かぶり寿司】といって、なんのこっちゃさっぱり分からなかったもんです。
その頃は函館でコンビニ経営をやっていて、本部SVと新商品の打ち合わせをしていた時でした。
「来週は節分ですんで【丸かぶり寿司】っていう太巻きをドーンと並べてみましょうか。」
「なに、それ?丸かぶり寿司ってなんなの?」
「なんか、関西では吉方を向いて太巻きを一気食いして、福を呼び込むんだそうです。」
「ふーん。函館で、そんなの知ってる人なんかいるの?」
「誰もいないと思いますけど、一応新商品ですから、20本発注してみましょうよ。」
「うーん。。。」
吉方向に向うとか、一気に食うとか、作法も知らなくて、何となく手探りで食った記憶があります。
お昼を買いに来たガテン系のお兄ちゃんたちがカップラーメンと太巻きの組み合せで買っていて、
方向も何も関係なく外でラーメンと一緒に食ってたもんです(笑
そのくらい、北海道でも馴染みがまったくなかったんですよ。
それが、今や【恵方巻き】となって、完全に2月の季節商品の市民権を得ましたもんね。
昨日、ニュースでやってましたけど、恵方巻きが全国に普及した背景には、コンビニの全国展開と
それまでヒマだった2月の販売商戦に取り組んだスーパーの力が大きかった、なんてやってました。
あの時、初めてコンビニの店頭に並べた20本の恵方巻きは、結局5本しか売れませんでしたから、
こんな風に当たり前のように食う文化が根付くとは、自分自身、全く想像出来なかったですもんね。
大体、喉が詰まりそうで食べづらいし、一気に食っても美味しくないし、すぐにお腹一杯になるし、
なにより無言で黙々と食べるだけだから、みんなで食べても全然楽しくないんですよね。
まぁなんにせよ、それで福がやってきて幸せになれるのなら、
お安い御用なんですけどね。
それより、みなさんちゃんと方角、合ってます?
我が家はいつも、適当です(笑
それじゃ、福も来るわけないか゜゜(´□`。)°゜
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毎度ありがとうございます!
2月だというのに、10℃近い気温に連日の雨で、雪が全くない鶴岡です。
46年生きてきて、こんなに雪のない2月の鶴岡は初めてかもしれません。
娘の受験の結果も、なんとか一次試験に合格しこれから二次面接がありますので
最終的に結果が出るまではあと二週間はかかります。
なかなか精神的に落ち着きませんけど、無事に合格できるよう祈るだけです。
そんな中、もうすぐソチ五輪が始まりますよね。
冬季オリンピックというと、やっぱり長野のジャンプ団体の金メダルが一番印象に残ってます。
今でも、たまにあの時の映像が流れたりすると、条件反射的に涙が溢れてくるんですよ。
前回大会リレハンメルの雪辱を果たした原田のジャンプも、もちろん感動的なんですけど、
その陰にいた25人の試験飛行員(テストジャンパー)たちの物語・・・。
みなさんもご存知だと思うので、ここでは詳しく書きませんけど、
吹雪のため一時中断となっていたところを、元代表選手の西方選手はじめ
25名のテストジャンパーたちが悪天候のなか次々と命がけで飛びだしていき、
何とか競技再開にこぎつけ、二本目の原田の大ジャンプを呼び起こしたという、
まるでドラマのような感動的な裏舞台。。。
金メダルが確定してインタビューされた原田が「オレじゃないんだ、みんななんだよ、みんな・・・。」
という言葉は、リメハンメル大会で大失速した原田に金メダルをもたらした船木・岡部・斎藤のこと
だと思ってたんですけど、陰で支えたテストジャンパー25名のことも指していたんですね。
そして、この時の原田が代表落ちした西方のアンダーウェアと、
同期葛西のグローブをつけて、あの137mの大逆転ジャンプを
やってのけるわけですから、まさに男の中の男ですよ。
こういう体育会系の【縁の下の力持ち】的な逸話は、
涙腺の弱いおっさんにはダメですね。
いつでもどこでも、すぐ泣けます、はい(笑
鶴商野球部時代の自分も、レギュラーではなかったし、現役最後の試合も出場することなく
一塁コーチャーボックスで現役生活を終えました。
自分でいうのもおこがましいですけど、最後の夏はスタメンはないと思ってましたから
チームの中で自分が何が出来るのか・・・を考えて自己犠牲じゃないけれど、
裏方に自信を持って取り組んでいた自負はあります。
その影響が強かったのか、いまの仕事、飲食業も云わば裏方業なんですよね。
お客様の楽しそうな笑顔や「美味しい!」の一言のために、見えないところで努力する。
ご夫婦や家族でいらっしゃる方や、仕事帰りに一杯ひっかけていくのが楽しみな方や、
月に一度は職場のみんなで来てくれる方々や、仕事に行き詰ったときに来る方や、
お客さまのシーンは、人それぞれ千差万別なんですね。
みなさんそれぞれが楽しく時間を過ごせて、また明日からの活力を養えるよう、
いつもと変わらず美味しいと言っていただけるように、今日も自分なりに頑張るだけです。
派手なチラシや、過剰な雑誌広告は載せません。
煮込みとホルモン、やきとんだけの不便で小さなお店です。
そんな「やんちゃ」を楽しみにして来てくださる方がいると思うことが、
日々自分にとっての励みになります。
今日も「煮込み」をコトコト煮込みながら、いつもの場所でのんびりとやっております。
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毎度ありがとうございます!
スイマセン、10日ぶりですか・・・
随分とブログもご無沙汰していた気がします。
いつもの年だと、1月の連休に開催される野球部OB会に向けての準備や、
OB会終了後の残務処理に追われ、2月に入れば入ったで今度は確定申告の準備と、
バタバタ続きの1月~2月を送っているんですけど、今年はそこに娘の受験という一大イベントが
加わりまして、もういろんなストレスが蓄積されているここ数ヶ月だったんです。
カミさんやおばあちゃんが看護師なので、娘は小学生の頃から「将来の夢は看護師です。」と
これまで一切ブレずにその夢に向って頑張ってきました。
成績は、そんなに良いわけではないけれど、それでも一生懸命に勉強はやっていたようです。
看護師になるには、大きく分けて二つの道があります。
ひとつは3年課程の看護専門学校(高看)に進学して国家試験に合格すること。
もうひとつは2年課程の准看学校(准看)に進学して准看護師試験に合格すること。
正看護師免許取得を目標とした以上は、入学も国家試験大変だけど看護専門学校に
進学してもらいたいし、本人もそのつもりで今まで頑張ってきました。
娘は、推薦試験のない地元の看護学校を第一志望としましたんで、
他校を推薦試験で受けるわけにはいかなかったんですよね。
すべての専門学校を一発勝負の一般入試を受けなければならない現実は、
言葉では言い表せないプレッシャーも相当あったと思います。
実際、本人の実力より低い偏差値の専門学校を受けたのに、不合格となったところもありましたし、
倍率も7倍とか5倍とかが当たり前で、低くても3倍という狭き門だったんですよ。
最初から、受かるなら県外の学校でもいいと割りきっていれば、自分の学力に見合った看護学校を
ピンポイントで推薦で受験することもできたんですけど、あえてそうしなかったんです。
おかげさまで、すでに合格をもらった県外の看護学校もありますから少しはホッとしてますけど、
ここまできたらなんとか地元の学校に決まってほしいと、家族みんなで応援してきたわけです。
試験や学校の制度には、いろいろと書きたいことが山ほどありますけど、
すべての試験が終わって、まだ結果が出ていない段階ですので、
今はただ、結果が出るのをじっと待つしかありません。
そして、その結果がどうであれ、地元に決まるにせよ県外に出すにせよ、
春からの新しい環境への準備で、ますます忙しくなりそうなことは確かです。
ブログの更新頻度もあまり高くはないでしょうけど、タイミングを見つけて更新できればと思っています。
気楽に気長にお付き合いいただければ幸いです。
ふと思えば、今日で1月も終わり、ですか。
今年は特に、時の経つのが早く感じます。
もう少し、ゆっくりと一日一日を生きてみたいというのが本音ですけどね。
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毎度ありがとうございます!
またまた高校野球ネタが続きますが、今日は後輩の話しでも・・・。
昨夜は、鶴商時代の2コ下の後輩で神奈川に住むキシモトが息子と食事をしに寄ってくれました。
聞けば、東の入試を受けるそうで、春から息子も親父と同じ鶴岡東野球部に入るんだそうです。
考えてみれば、15で親元を離れ県外の高校で野球に打ち込む・・・なんて
たったの一行で表せちゃうことだけど、ものすごい覚悟と、とてつもない不安感と孤独感のなかで
山形に来るんだろうなと思ったら、後輩の息子とはいえ半分、親になった気持ちになってしまって、
なんか、グッと込み上げてくるものがあったんです。
「キミは鶴岡東の甲子園出場を見て、東に入ろうと思ったの?」
「いいえ。小学生で野球を始めた頃から鶴岡東に行こうと決めていました。」
「マジで!スゴイ覚悟だなぁ。たいしたもんだよ。キシモトよ、お前いい倅もったなぁ」
「ハイ。ありがとうございます。子供の頃から、鶴東に行って甲子園に連れてってくれと託してました。」
「そうかぁ。スゲーな。やっぱり。」
「いえいえ。来年はすぐ下の弟もお世話になろうかと思いますんで、宜しくお願いします。」
「え!お前んとこ、弟も来年?二人とも東に入れんの?」
「ハイ!」
地元にいる親の母校に子が入学するというのは珍しくないでしょうけど、
わざわざ県外から親父と同じ高校に兄弟揃って入学というケースは、本当に珍しいです。
ましてや、自分とも少しの間でしたけど、同じ釜のメシを共に食った後輩の倅ともなれば、
感情移入しないはずがありません。
気持ちが折れそうになるときが一度や二度は必ずくるものです。
そんな時には、さりげなく声をかけてあげれたらと思っています。
今の下宿は昔の寮ほど厳しくないにしろ、昔と違って携帯でいつでも繋がってる感があるにせよ、
まだ15歳、体つきはでかくても心はまだまだ子供な部分もあったりするんですよね。
自分なら、自分の母校に行ってくれることを喜ぶ反面、
それが地元以外なら躊躇してしまうでしょう。
だけど、その先にお世話になった方々からの温かい心と優しい眼差しが
あるんだとしたら、やっぱり行かせてしまうかもしれませんね。
そんなふうに、自分の息子に置き換えて考えてしまってました。
また母校を応援する楽しみが増えました。
春が待ちどうしいですね。
その前に、今週の娘の受験が先ですけど・・・
我が家の進路が落ち着くのは、まだもう少し先になりそうです。
頑張れー!お前ならできる!!
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毎度ありがとうございます!
OB会の感動が覚めやらぬまま、すでにいつもの日常に戻っているわけですけど、
ふと、高校時代のあだ名を思い出してしまいました。
新入生が入部すると、先輩に必ずと言っていいほどあだ名をつけられます。
自分の場合は、ひょうきん族に出てくる「ホタテマン」に似ているからと「ホタテ」でした(笑
どうせなら「リキヤ」にしてくれたら、今なら源氏名みたいで使えるのに(笑
悪意のないあだ名は同期にも伝染しますから、自分は同期からも「ホタテ」と呼ばれてましたもんね。
ある程度大人になって、お互いに子を持つ親になった頃から、なんとなく「ホタテ」とは
呼ばれなくなった気がしますけど、そんなに嫌いじゃないあだ名でしたね。ま、好きでもないけど。
しかし、今になって思い返すと凄いあだ名がいっぱいで笑えます。
「アルマン」・「大仏」・「カタハリ」・「ボクサー」・「ダル」・「ウマ」・「ネコ」・「オヤジ」・「クサコン」・「ブキミ」、
先輩にも「バクダン」・「コツ」・「オーチェ」・「モアイ」・「ビビンバ」・「ゴンザ」・「桃屋」さんなどと
聞いただけでは全く由来が分からない「あだ名」の方々もたくさんいたものです。
ちなみに「ドェー」さんの弟も「ドェー」でしたけどね(笑
当時の野球部は「先輩」という呼び方は禁止されていて、
必ず名前に「さん」付けで呼んでいました。
他校の体育会系によくある「押忍」「オッス」も厳禁だったんです。
すれ違うときには「こんにちは。失礼します!」が基本でしたから。
テレビもなく娯楽が一切ない寮生活では、後輩をイジるしか
楽しみがなかったですもんね。
そんな、「やった」「やられた」の3年間がそこはかとなく懐かしいのが、自分でも不思議です。
先輩がいて自分がいて後輩がいるんですよ。
そんな世代や時の流れを楽しみながら、もっとOB会を盛り上げていきたいと思っています。
よーし、煮込みも仕上がりました。
これが、いつもの自分の日常です。
今日も寒いですが、頑張っていきましょう!