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毎度ありがとうございます!
2月だというのに、10℃近い気温に連日の雨で、雪が全くない鶴岡です。
46年生きてきて、こんなに雪のない2月の鶴岡は初めてかもしれません。
娘の受験の結果も、なんとか一次試験に合格しこれから二次面接がありますので
最終的に結果が出るまではあと二週間はかかります。
なかなか精神的に落ち着きませんけど、無事に合格できるよう祈るだけです。
そんな中、もうすぐソチ五輪が始まりますよね。
冬季オリンピックというと、やっぱり長野のジャンプ団体の金メダルが一番印象に残ってます。
今でも、たまにあの時の映像が流れたりすると、条件反射的に涙が溢れてくるんですよ。
前回大会リレハンメルの雪辱を果たした原田のジャンプも、もちろん感動的なんですけど、
その陰にいた25人の試験飛行員(テストジャンパー)たちの物語・・・。
みなさんもご存知だと思うので、ここでは詳しく書きませんけど、
吹雪のため一時中断となっていたところを、元代表選手の西方選手はじめ
25名のテストジャンパーたちが悪天候のなか次々と命がけで飛びだしていき、
何とか競技再開にこぎつけ、二本目の原田の大ジャンプを呼び起こしたという、
まるでドラマのような感動的な裏舞台。。。
金メダルが確定してインタビューされた原田が「オレじゃないんだ、みんななんだよ、みんな・・・。」
という言葉は、リメハンメル大会で大失速した原田に金メダルをもたらした船木・岡部・斎藤のこと
だと思ってたんですけど、陰で支えたテストジャンパー25名のことも指していたんですね。
そして、この時の原田が代表落ちした西方のアンダーウェアと、
同期葛西のグローブをつけて、あの137mの大逆転ジャンプを
やってのけるわけですから、まさに男の中の男ですよ。
こういう体育会系の【縁の下の力持ち】的な逸話は、
涙腺の弱いおっさんにはダメですね。
いつでもどこでも、すぐ泣けます、はい(笑
鶴商野球部時代の自分も、レギュラーではなかったし、現役最後の試合も出場することなく
一塁コーチャーボックスで現役生活を終えました。
自分でいうのもおこがましいですけど、最後の夏はスタメンはないと思ってましたから
チームの中で自分が何が出来るのか・・・を考えて自己犠牲じゃないけれど、
裏方に自信を持って取り組んでいた自負はあります。
その影響が強かったのか、いまの仕事、飲食業も云わば裏方業なんですよね。
お客様の楽しそうな笑顔や「美味しい!」の一言のために、見えないところで努力する。
ご夫婦や家族でいらっしゃる方や、仕事帰りに一杯ひっかけていくのが楽しみな方や、
月に一度は職場のみんなで来てくれる方々や、仕事に行き詰ったときに来る方や、
お客さまのシーンは、人それぞれ千差万別なんですね。
みなさんそれぞれが楽しく時間を過ごせて、また明日からの活力を養えるよう、
いつもと変わらず美味しいと言っていただけるように、今日も自分なりに頑張るだけです。
派手なチラシや、過剰な雑誌広告は載せません。
煮込みとホルモン、やきとんだけの不便で小さなお店です。
そんな「やんちゃ」を楽しみにして来てくださる方がいると思うことが、
日々自分にとっての励みになります。
今日も「煮込み」をコトコト煮込みながら、いつもの場所でのんびりとやっております。
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毎度ありがとうございます!
スイマセン、10日ぶりですか・・・
随分とブログもご無沙汰していた気がします。
いつもの年だと、1月の連休に開催される野球部OB会に向けての準備や、
OB会終了後の残務処理に追われ、2月に入れば入ったで今度は確定申告の準備と、
バタバタ続きの1月~2月を送っているんですけど、今年はそこに娘の受験という一大イベントが
加わりまして、もういろんなストレスが蓄積されているここ数ヶ月だったんです。
カミさんやおばあちゃんが看護師なので、娘は小学生の頃から「将来の夢は看護師です。」と
これまで一切ブレずにその夢に向って頑張ってきました。
成績は、そんなに良いわけではないけれど、それでも一生懸命に勉強はやっていたようです。
看護師になるには、大きく分けて二つの道があります。
ひとつは3年課程の看護専門学校(高看)に進学して国家試験に合格すること。
もうひとつは2年課程の准看学校(准看)に進学して准看護師試験に合格すること。
正看護師免許取得を目標とした以上は、入学も国家試験大変だけど看護専門学校に
進学してもらいたいし、本人もそのつもりで今まで頑張ってきました。
娘は、推薦試験のない地元の看護学校を第一志望としましたんで、
他校を推薦試験で受けるわけにはいかなかったんですよね。
すべての専門学校を一発勝負の一般入試を受けなければならない現実は、
言葉では言い表せないプレッシャーも相当あったと思います。
実際、本人の実力より低い偏差値の専門学校を受けたのに、不合格となったところもありましたし、
倍率も7倍とか5倍とかが当たり前で、低くても3倍という狭き門だったんですよ。
最初から、受かるなら県外の学校でもいいと割りきっていれば、自分の学力に見合った看護学校を
ピンポイントで推薦で受験することもできたんですけど、あえてそうしなかったんです。
おかげさまで、すでに合格をもらった県外の看護学校もありますから少しはホッとしてますけど、
ここまできたらなんとか地元の学校に決まってほしいと、家族みんなで応援してきたわけです。
試験や学校の制度には、いろいろと書きたいことが山ほどありますけど、
すべての試験が終わって、まだ結果が出ていない段階ですので、
今はただ、結果が出るのをじっと待つしかありません。
そして、その結果がどうであれ、地元に決まるにせよ県外に出すにせよ、
春からの新しい環境への準備で、ますます忙しくなりそうなことは確かです。
ブログの更新頻度もあまり高くはないでしょうけど、タイミングを見つけて更新できればと思っています。
気楽に気長にお付き合いいただければ幸いです。
ふと思えば、今日で1月も終わり、ですか。
今年は特に、時の経つのが早く感じます。
もう少し、ゆっくりと一日一日を生きてみたいというのが本音ですけどね。
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毎度ありがとうございます!
またまた高校野球ネタが続きますが、今日は後輩の話しでも・・・。
昨夜は、鶴商時代の2コ下の後輩で神奈川に住むキシモトが息子と食事をしに寄ってくれました。
聞けば、東の入試を受けるそうで、春から息子も親父と同じ鶴岡東野球部に入るんだそうです。
考えてみれば、15で親元を離れ県外の高校で野球に打ち込む・・・なんて
たったの一行で表せちゃうことだけど、ものすごい覚悟と、とてつもない不安感と孤独感のなかで
山形に来るんだろうなと思ったら、後輩の息子とはいえ半分、親になった気持ちになってしまって、
なんか、グッと込み上げてくるものがあったんです。
「キミは鶴岡東の甲子園出場を見て、東に入ろうと思ったの?」
「いいえ。小学生で野球を始めた頃から鶴岡東に行こうと決めていました。」
「マジで!スゴイ覚悟だなぁ。たいしたもんだよ。キシモトよ、お前いい倅もったなぁ」
「ハイ。ありがとうございます。子供の頃から、鶴東に行って甲子園に連れてってくれと託してました。」
「そうかぁ。スゲーな。やっぱり。」
「いえいえ。来年はすぐ下の弟もお世話になろうかと思いますんで、宜しくお願いします。」
「え!お前んとこ、弟も来年?二人とも東に入れんの?」
「ハイ!」
地元にいる親の母校に子が入学するというのは珍しくないでしょうけど、
わざわざ県外から親父と同じ高校に兄弟揃って入学というケースは、本当に珍しいです。
ましてや、自分とも少しの間でしたけど、同じ釜のメシを共に食った後輩の倅ともなれば、
感情移入しないはずがありません。
3年間はあっという間かもしれませんけど、どこかで寂しくなってしまったり、
気持ちが折れそうになるときが一度や二度は必ずくるものです。
そんな時には、さりげなく声をかけてあげれたらと思っています。
今の下宿は昔の寮ほど厳しくないにしろ、昔と違って携帯でいつでも繋がってる感があるにせよ、
まだ15歳、体つきはでかくても心はまだまだ子供な部分もあったりするんですよね。
自分なら、自分の母校に行ってくれることを喜ぶ反面、
それが地元以外なら躊躇してしまうでしょう。
だけど、その先にお世話になった方々からの温かい心と優しい眼差しが
あるんだとしたら、やっぱり行かせてしまうかもしれませんね。
そんなふうに、自分の息子に置き換えて考えてしまってました。
また母校を応援する楽しみが増えました。
春が待ちどうしいですね。
その前に、今週の娘の受験が先ですけど・・・
我が家の進路が落ち着くのは、まだもう少し先になりそうです。
頑張れー!お前ならできる!!
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毎度ありがとうございます!
OB会の感動が覚めやらぬまま、すでにいつもの日常に戻っているわけですけど、
ふと、高校時代のあだ名を思い出してしまいました。
新入生が入部すると、先輩に必ずと言っていいほどあだ名をつけられます。
自分の場合は、ひょうきん族に出てくる「ホタテマン」に似ているからと「ホタテ」でした(笑
どうせなら「リキヤ」にしてくれたら、今なら源氏名みたいで使えるのに(笑
悪意のないあだ名は同期にも伝染しますから、自分は同期からも「ホタテ」と呼ばれてましたもんね。
ある程度大人になって、お互いに子を持つ親になった頃から、なんとなく「ホタテ」とは
呼ばれなくなった気がしますけど、そんなに嫌いじゃないあだ名でしたね。ま、好きでもないけど。
しかし、今になって思い返すと凄いあだ名がいっぱいで笑えます。
「アルマン」・「大仏」・「カタハリ」・「ボクサー」・「ダル」・「ウマ」・「ネコ」・「オヤジ」・「クサコン」・「ブキミ」、
先輩にも「バクダン」・「コツ」・「オーチェ」・「モアイ」・「ビビンバ」・「ゴンザ」・「桃屋」さんなどと
聞いただけでは全く由来が分からない「あだ名」の方々もたくさんいたものです。
ちなみに「ドェー」さんの弟も「ドェー」でしたけどね(笑
当時の野球部は「先輩」という呼び方は禁止されていて、
必ず名前に「さん」付けで呼んでいました。
他校の体育会系によくある「押忍」「オッス」も厳禁だったんです。
すれ違うときには「こんにちは。失礼します!」が基本でしたから。
テレビもなく娯楽が一切ない寮生活では、後輩をイジるしか
楽しみがなかったですもんね。
そんな、「やった」「やられた」の3年間がそこはかとなく懐かしいのが、自分でも不思議です。
先輩がいて自分がいて後輩がいるんですよ。
そんな世代や時の流れを楽しみながら、もっとOB会を盛り上げていきたいと思っています。
よーし、煮込みも仕上がりました。
これが、いつもの自分の日常です。
今日も寒いですが、頑張っていきましょう!
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毎度ありがとうございます!
先日の日曜日、高校時代の野球部OB会の総会が開催されました。
今年は、90名を越すOBの方々に出席していただき盛大に開催することができました。
役員会でも、毎年100名超えの出席者を目標に頑張っているんですけど、
なかなか100の壁を越えることが出来ないのが現状です。
それでも、今年は昭和世代が途切れることなく参加した稀に見る総会だったんですよ。
特に自分のすぐ上の先輩方が仙台・東京・神奈川・新潟から出席していただいたのは
口には出来ないくらいに本当に嬉しくもあり、ある意味、感動的でもあったんですよね。
昭和53年~56年までの3年間は、春夏合わせて3回甲子園に出場した黄金期でもあり、
自分達の昭和60年までは部員全員が野球部寮で生活していた厳しい時代でもあったわけです。
当然、県外からの野球留学生がその大半を占めていましたから、卒業後に鶴岡に残る人など
ほとんどいない世代でもあったんですよね。
自分が前OB会長と田中先生から指名され、事務局を引き受けてから10年になります。
自分の1コ上のマナブさん以外は、2コ上・3コ上・4コ上くらいまでの先輩方に対して、
現役時代にたくさんのOBからの協力を得た方々ほど、OB会と接点を持たない現実に
時には憤りや怒りも感じたことがあったのも事実です。
卒業したての18歳の子でも、OB会費を振り込んでくれるのに、あの人たちは何をやってるんだと。
いつか、あの世代、あの年代の方々にもOB会に来てもらいたい・・・
そんな自分の勝手な思いと、意地の10年だったような気もします。
3年前に30年ぶりに甲子園出場を果たしたことがきっかけで、また連絡がつくようになり、
昨年は56年~60年のOBが由良温泉に集まり楽しい一夜を過ごすことができました。
でも、正直、自分は半分しか楽しめていなかった気もするんですよね。
1月と9月では日程的に全く違うにせよ、やっぱり、あれだけのメンバーが一同に集まれるのなら、
みんなでOB会に来てくれてもいいんじゃないのかなと、生意気にも思っていたわけです。
それでも、そういういろんな事がきっかけとなり、その後からは出席できなかった方からでも
振込みで会費を頂戴するようになってきてたんですよね。
そんな変化が嬉しかったし、そんな少しのつながりでも嬉しかったんです。
お酒の力を借りて、随分と調子こいた自分を笑って容認してくれた実際、県外に住んでいる方が、わざわざ鶴岡でOB会に出席するのが
どれだけ大変なのかは十分わかっているつもりです。
偉そうなこと言ってる自分ですけど、函館に住んでいた頃は
一回もOB会に出席したことがありませんし。
だからこそ、それだけの時間と経費をかけてまで鶴岡に来ていただいて、
OB会に出席していただいたことに嬉しさと驚きを隠せなかったんですね。
自分にとっては神様みたいな方々と一次会、二次会と
図々しくもご一緒させていただきました。
諸先輩方の丸くなりように、本当に本当に嬉しくも感動した
一夜だったんですよね。
いい先輩方と巡り合えたし、あの当時あれだけ厳しかった分、今の優しさ丸さが心にしみます。
どれだけ言葉を並べても言い表せない、心地いい酒、心地いい夜でした。
また、みなさんと会いたいです。
また、みなさんと一緒に酒を飲みたいです。
また、絶対にお会いましょう。
それまで、みなさん、お元気で。
自分も、元気で頑張ります。
楽しい夜をありがとうございました。
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毎度ありがとうございます!
今年になってまだ数日ですけど、夫婦の間でボタンのかけ違いで生じる
気持ちのすれ違い的な相談を受けることが、いくつか続いてるんですよね。
そういわれれば、正月に引いたおみくじでも「悩み人多き年、知恵と経験がものを云ふ」だったっけ。
自分もそんなに偉そうなことを言えた夫婦生活は送っていないんですけど、
自分自身が一度失敗している分、相手に与える痛みや与えられる痛みは知っているつもりです。
というわけで、今日は夫婦について考えてみましょうか。テーマがでかすぎるけどww
男と女が愛し合って結婚しても子供が出来てしまえば、お父さんお母さん・パパママとしての
役割が出来てきて何となく家族としてのカタチが出来上がり、その中で生活をしていきますよね。
当然、そこには道徳的倫理的にも、さらには法的にもルールがあって、
そのルールから逸脱するようなことをすれば、それは離婚とあいなるわけです。
浮気・不倫・金銭問題なんかは分かりやすい理由ですけど、嫁姑問題や価値観の違いや
性格の不一致などは、なかなか優劣がつけにくく踏ん切りもつけにくいものなんですよね。
ただ、人間は「許す」ということも出来る生きものです。
よっぽどのことじゃないのであれば、大目に見ることや話を聞いて許してあげることも含めて
歩み寄ることが夫婦にとって必要なときもあると思うんですよね。
そもそも、あなたは奥さんや旦那さんの日常を、どれだけ知ってますか。
一緒にいる時間や目の前にいる姿を見て、見えていない部分を信頼信用しているだけ
なのかもしれませんよね。
意外に奥さんの知らないところで好き勝手やってる旦那は多いですし、
実は、奥さんも旦那に内緒で好きなことやってるっていうのも多いのかもしれません。
それは、不倫とか浮気とかじゃなくても、旦那には言えない、言うほどのことでもないけど
密かに楽しみにしてることとか、自分のためにこっそりやってるへそくりだって同じなんですよ。
女遊びや浮気じゃなくても、クレジットカードで遊ぶカネを捻出したり、ギャンブルに狂っていたり・・・
つまり、相手のすべてを知る、知ろうとすること事態が無理ってもんなんです。
血のつながった親や兄弟でも、それは無理だと思うんですよ。
でも、「夫婦は鏡(かがみ)。」とはよく云ったもので、相手の行動は自分を写し出す鏡なんですね。
同じものを食ってるせいか、体系も似てくるし、顔つきも夫婦って似てくるでしょう。
考えていることや、企んでいることも似てきて当然なんですよ。
若いときのように、一緒にいるだけで楽しいなんて時間は、そんなにないのかもしれません。
だけど、楽しく過ごそうとする努力だけは、心がけていきたいものです。
それは一年に一回でもいいから家族で旅行したり、夫婦で食事に出かけたり、
非日常的な予定やイベントを企画することで、お互い気持ちのモチベーションは
十分持続できると思うんですけどね。
そういう努力が、相手との気持ちのすれ違いを少しでも緩和してくれるものだと思うんですよ。
相手を責める前に、自分の胸にも手を当ててみる心の寛大さも必要なんですね。
勢いのまま「別れる」ことは簡単ですし、別れたほうがいい夫婦も確かにいます。
だけど、気持ちが揺れ動くということは、心の中に別れたくないという部分もあるってことなんです。
決定的な不貞や裏切りじゃないのなら、お互いの理解や努力が足りなかったんじゃ
なかったかと自分自身にも問いかけてみてはどうでしょうか。
若いときのように手をつないだり、腕を組んで歩いていますか。
日常で恥ずかしいのなら、旅行先で手をつないでみたらどうでしょう。
そんなふうに自分自身も相手を思いやりながら、時には原点回帰していかないと、
夫婦なんて簡単に崩れてしまう脆い関係なのかもしれません。
なーんて、偉そうなことをカウンター越しに語ってしまいました。。。
ちなみに、我が家は付き合っていた頃から手をつないだり腕を組んだりしたことがないので、
旅先でも手すらつないで歩きませんし、原点回帰にもならないわけですけど・・・(笑
まぁ、ウチは結構上手くいっているほうだと思ってはいるんですけどね。
具体的なことを何も前置きせずに、こんな内容のブログですから、
すべて抽象的でわかりにくい内容になってしまいました。
それでも、なにか考えるところ、心に感じるところが芽生えてきたのなら、
それはそれでよかったのかもしれません。
幸せのカタチは、決してひとつではありません。
よく話し合って、よく理解してあげてほしいと思ってます。
「夫婦は鏡。」
相手に知られず好きに遊んでいると思ったら、相手もきっと同じことをやっているのかもしれませんよ。
・・・こわっ!!
それでは、今日はこのへんで。
なんか、まとまらなくてスイマセン。。。