やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ
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毎度ありがとうございます!

少し長くなりますが、今日は函館時代に大変お世話になった【ニシムラさん】のことを書きます。

自分が大学2年生の春、1年間の下宿生活に別れを告げ、憧れのアパート暮らしを始めました。
ある日、そのアパートの大家さんが所属している草野球チームに助っ人で呼ばれたんですよね。

ニシムラさんは、そのチームの監督兼エースでした。

活きのいい学生が加わったこともあって、その年は結構良いところまで勝ち上がっていったんです。
最終戦が終わり、バット納めの飲み会にも呼ばれて、ニシムラさんに
「イシカワが大学にいる間は、助っ人よろしく頼むよ。」
なんて言われて、そのまま卒業までなんとなく遊びでやってたんです。

自分より14歳上でしたから、自分が19歳の時でニシムラさんが33歳。
一回り以上も年上の方でしたけど、一度も自分のことを「お前」とは呼びませんでした。

大学時代の貧困時代から、よくスナックや回らない寿司屋に連れてってもらったもんです。

大学を卒業して、しばらくしてから函館に戻ってきた自分を
「よく帰ってきたなぁ。これでまたイシカワと一緒に野球やれるなぁ。」
と、またまた飲み会をセッティングしてくれて大歓迎してくれたんですね。

d96a7b12.jpeg数年が経ち、体の動く若い奴らと本気の草野球がやりたくなって、
自分達でチームを作りたいって相談したときも、

「おれもそっちに入れてくれよ。イシカワ達と一緒にやりたいんだ。」

と、25~26歳のメンバーの中に混じって40歳で移籍してきたんです。

ニシムラさんは当時、函館では老舗の不動産会社に勤めておられて、
総務課の金庫番として個人の接待費枠も持つくらいの地位にいた方でした。

すでに、離婚されていたんですけど、当時中学生になる「コウスケくん」という息子さんも
一緒にグランドに連れてきて、自分達に交じって練習や試合に出てたんですよ。

あることがきっかけで、ニシムラさんが思い切って会社を辞めてしまった後も、
たくさん飲みに連れてってもらいましたし、自宅で手料理も振舞ってもらいました。
手先の器用なニシムラさんは、刺身も握りも鍋もから揚げもすべて自分ひとりで準備して、
当たり前のように「食べろ。食べろ。」とご馳走してくれました。
本当に、お世話になりましたし、そして他の誰よりも一番に可愛がってもらいました。

32歳で函館を離れるまで、ニシムラさんは一度も自分にお金を使わせてはくれませんでした。

鶴岡に戻ってきて2年ほど過ぎた頃、「函館の回転寿司屋で寿司を握っているよ。」と、
電話で話したのを最後に、携帯の番号が変わって繋がらなくなったんです。
それでも、かろうじて年賀状では繋がっていたんですけど、自分も鶴岡で3回も引越ししているうちに
いつの間にか連絡が途切れてしまってたんですね。
ここ10年くらいは、まったく連絡のつかない状態でした。

日曜日に、ふと突然にニシムラさんのことを思い出したらずっと頭から離れず、
何か大切な人との繋がりを失くしてしまったような、もの凄く不義理をしている感覚になったんです。
あれだけお世話になったのに・・・、連絡も取れずに今頃どうしているのかな、と。

その後、急激な腹痛に襲われて、翌朝から6時間も点滴を打ってお店を休んだのは承知の通りです。

そして今日の夕方、仕込みの最中に見覚えのない番号から携帯に電話がかかってきたんです。
「イシカワさん・・・ですか?」
「はい。どちらさまでしょうか?」
「あのー、函館のニシムラの息子のコウスケっていいます。」
「えっ、コウスケくん?ひっ久しぶりだね~どうした?ニシムラさん、元気かぁ?」
なんて話したものの、突然の電話の状況がまったく飲み込めず・・・。

「実は先日の4日に、父が突然倒れてそのまま亡くなりました。」
「えっ・・・うそでしょ?・・・なんで?」
「病気とかじゃなくて、血圧が高かったんで、トイレで倒れて、そのまま・・・」
「なんでよ・・・なんで・・・」
「父と酒飲むと、イシカワは山形で元気に頑張ってるかな~って口癖のように言ってたんですよ。
 友人の少なかった父でしたから、イシカワさんと会いたがっていました。」
「・・・そっかぁ。うん、うん、ごめんよ。しかし、コウスケくん、どうやってオレの連絡先分かったの?」
「父の携帯電話のメモリー見てたらイシカワってあったんで、多分、一緒に野球してもらった
 あのイシカワさんで間違いないだろうと思って、思い切って掛けてみました。」
「・・・そっかぁ。ありがとうな。ほんとに、連絡くれて、ありがとう。」
「こちらこそ、イシカワさんに連絡とれて良かったです。」

時間になってバイトのハタケが来ても、涙は止まりませんでした。

コウスケくんの話しによると、あれから勤めていた回転寿司屋が倒産したらしく、
そのことをきっかけに携帯の番号を変えて誰にも連絡を取ってなかったそうなんです。
「ああ見えて、結構プライドが高かったから、格好悪いトコ見せたくなかったのかもしれないですね。」
「手紙や年賀状も出してませんでしたから。」なんてコウスケくんは言うけれど・・・、

ニシムラさん・・・水臭いっスよ。
函館を離れるときに「イシカワ、元気でな。なにやってもいいから、たくましく生きろよ。」って
言ってくれたの、ニシムラさんじゃないですか。
やっと連絡がついたと思ったら、亡くなりました、ってことはないでしょうよ。
何ひとつ、恩返しもしていないのに・・・。

すでに、近親者で密葬も終わり、コウスケくんも日曜日には茨城に戻り、
函館のご自宅には誰もいなくなるそうです。
来年、改めて自分の家族を連れて函館にお墓参りに行きます。
必ず、行きますから、ニシムラさん、待ってて下さい。

ニシムラさんに初めて呑ませてもらった青森県「田酒」(西田酒造)の旨さは忘れません。
先日、偶然にも後輩に「田酒」を貰ったときも、ニシムラさんのこと思い出してました。
結構、入手するのが難しい酒だったのに気を使わせないように、
「こんな酒、その辺にいくらでもあるから、遠慮しないでジャンジャン飲め!」
なんて言ってくれましたよね。
また、一緒に飲みたかったです。。。

26歳になっていたコウスケくんとも、今度は連絡が途切れないようにしっかりと番号交換しました。
コウスケくんが携帯を見て連絡くれなかったら、このままずっと知らずに過ごしていたでしょう。

それにしても改めて考えると、みなさんは自分が中学生だったときの父親の友人に、
本人が亡くなったあとに自分の意思で10年ぶりに突然、電話をかけれますか?

ニシムラさん。
コウスケくん、立派に育てましたね。
はっきりと、澄んだ声で、ちゃんと話してくれましたよ。

ニシムラさん。
函館時代には、本当にお世話になりました。
酒を飲むのが好きだったニシムラさんに「今、飲食店をやってます。」なんて話したら、
どれだけ喜んでくれたか、すぐに想像できます。

ニシムラさん。
こんな自分にも守るべき家族ができて、人並みですけどたくましく生きています。
亡くなられた4日の夜から、自分も腹痛で苦しんだのはニシムラさんが警告してくれたんですね。
「イシカワ、身体を大切にしろよ。ちゃんと検査しろよ。」と。

ニシムラさん。
そっちにユニホーム着たショウゴがいるハズですから、なんか旨いもん食わせてあげてくださいね。

ニシムラさん、享年58歳。
謹んで、心からご冥福をお祈りいたします。

大切な人が、また一人旅立ってしまいました。
今夜は眠れそうにありません。合掌。
 
毎度ありがとうございます!

とりとめてブログのネタになるような事もない日常が、淡々と過ぎて行っております。

4cdf613b.jpegそういえば、自営業の方はこの時期、確定申告の準備に追われます。
売り上げがたくさんあって、税理士にお願いしているような規模の
お店は別として、大体は店主が記入して提出しますよね。

自分が以前、函館でコンビニをやっていた頃も確定申告は
自分で書いて提出しておりました。

毎日の伝票や領収書、レジのレシートなども7年間の保管義務がありますんで、
もの凄い量のダンボールで倉庫の奥の奥に保管してたんです。
開業から5年経ったある日、税務調査をしたいとの連絡を受けまして、
その資料をすべて引っ張り出して提出しました。

三日間ほど帳簿を預けた後、「一箇所だけ不明な点がありますんで・・・。」と連絡が。
どうやら、コンビニ指定の業者から仕入れた際の「仕入れ割戻し」の項目が
仕入れ金額から差し引かれていなかったらしく、
5年分で25万円の追徴課税を払わなければならなくなったんです。

正直、これはキツかった。
悪質な脱税やごまかしではなく、本当に単純な記入ミスでした。
もし、開業一年目で教えてくれていたら、そのまま正しく申告できたくらい単純なミスだったんです。

時が流れ、函館を離れ鶴岡に戻ってきてすぐの年。
函館での事業所得を確定申告したら、どうやら消費税の計算が間違っていたようで、
年間5万円くらい多く収めてたようなんです。
7年間で、なんと35万円という大金を払い過ぎてたのに、税務署は教えてはくれないんですよ。

実は、還付金申請は過去1年間分のみしか請求できないんです。
収める追徴課税は5年間さかのぼるのに、戻す還付金の申請は1年間のみなんですね。
納得はいきませんでしたけど、今更言ってもあとの祭りってやつです。

今は、パソコンで管理してますんで、伝票や領収書の整理さえしておけば、
きちんと計算してプリントアウトできる環境になってます。

まぁ、10坪もないお店ですから、そんなに売り上げもないんですけど・・・(苦

今週は、「日曜日にどうしても。」と頼まれた貸切の宴会が入りまして2週間休みなしです。
しかも、そんなときに限って体調が悪いんですよね~。
けど、そこは何とか気合いで乗り切ります!!!

みなさんも、体調管理には十分お気をつけ下さい。
オッシャー!!

毎度ありがとうございます!

先日、懐かしい写真が出てきまして・・・。

7ff2fe9e.jpeg大学3年の頃、バンドを組んでライブハウスで歌っている写真です。
函館では有名なライブハウスで、のちにはあの「GLAY」も
ここでブレイクしたという由緒あるステージなんですね。

高校時代は野球しかやってこなかったんで、
とにかくキャンパスライフを楽しもうと、
ギターも弾けないのに誘われるまま軽音楽部に入って歌ってた頃です。

当時は「イカ天」ブームで、ネコも杓子もバンド組んでた時代でしたもんね。
あの、某酒屋の店主もビジュアル系バンドを組んでメイクして髪の毛おっ立たせてたくらいですから。
自分も含めて、ある意味なんでもアリの恐ろしい時代だった気がする・・・。

自分達の場合は、適当に「コレ、いいな。」と思ったメジャーなバンドのコピーをやってた程度ですから、
さすがにメイクまではしませんでしたけど、分厚いラバーソール履いたりしてそれなりに楽しんでました。

まったくのド素人でしたから、PAだのMCだのエフェクターだのボウヤだのって
専門用語を言われても、なんのこっちゃまったくワカリマセ~ン状態でしたもんね(笑
高校時代にはまったく縁のなかったジャンルです。

そう言えば、大学時代はバイトもよくやりました。
危ないマスターに気に入られて、そのまんま怪しいスナックなんかでもバイトしてた事もありましたね。
あの頃は、焼酎なんて誰も飲まなかったし、焼酎をキープする時代が来るなんて思いもしなかった。

1989年ってことは当時21歳だから、これは大学4年の頃ですね。b00b602c.jpeg
バブル絶頂期の写真に写っているMENUボードには

「レミーマルタン20000円
  ヘ ネ シ ー 20000円
 オールドパー 18000円
 X   O    12000円」

って書いてあるけど、今になれば高いんだか安いんだかも、よく分からない。

カウンターのピンク電話も懐かしい!!
たしか10円しか入らないダイヤル式でした。
今の子供達、ダイヤル式で電話かけれないんじゃないかな、きっと。

閉店時間が近づくと「メリージェーン」や「ラブイズオーバー」の曲が流れ、
フロアでは照明を落としてホステスとチークを踊るのがお決まりのパターンだったもんです。
こんな話、アラフォー世代以上のオッサンにしか分からないかもなぁ・・・。

この頃はホステスもみんな歌が上手かったですもんね。
高橋真梨子の「for you・・・」や鈴木聖美の「TAXI」なんかの聴かせる曲が上手い子は人気もあった。
あとはやっぱり、テレサ・テンは絶対にハズせなかったし。
あちらこちらでチップが飛び交い、給料よりチップが多いなんて当たり前の時代でしたもんね。

そう考えると、いろんな事をこの目で見てきたし、実際にやってきたんだなぁって、
改めて今までの人生を振り返ってセンチメンタルな気分に浸ってしまうわけです。

今は、毎日があっという間に過ぎていって、あまり写真も撮らないせいか
後から思い出せる思い出ってあまり残ってない気がするんですよね。
もちろん、記憶には残ってますけど、年のせいかだんだん思い出せない事も多くなってるんですよ。

そんな想いもあって、また今日もくだらない昔の話しをブログに書いてしまってるワケです。

お店の告知よりも、くだらない内容の方が圧倒的に多いブログですけど、
これからもお付き合いいただければ幸いです。

少しづつ春が近づいてます。
素敵な週末をお過ごし下さい。
毎度ありがとうございます!

さっき、野球関連の記事をネットで調べていたら、大学の後輩の訃報を知りました。
町立高校として初めて春のセンバツ甲子園に出場した「知内高校」の主将を務め、
その後、函館大学に進学し1年次から4番で活躍し、卒業後も地元函館にある
日本最古の社会人クラブチーム「函館太洋倶楽部(函館オーシャン)」の主将を務めた男です。

享年34歳。
若すぎるし早すぎます。

彼が大学生の頃に、自分がオーナーをしていたコンビ二でバイトを手伝ってもらった事もありましたし、
2年間、一緒に草野球チームでプレーした仲間でもありました。
その素晴らしい野球センスは、今でもはっきりと脳裏に焼きついてますし、
あの明るい性格はまさにキャプテン向きの性格だったと思います。

今年6月に、朝野球の試合中に心臓の痛みを訴えベンチで横になって休んでいた際に心肺が停止し、
救急搬送するも蘇生ならず、そのまま帰らぬ人になったんだそうです。
まさに、ユニホームを着たまま、グランドからあの世に逝ってしまった野球小僧です(涙

彼の人生の中で自分と関わった時間は、ほんの僅かだったと思うんですけど、
函館を離れた自分の中では「あいつら元気かな?」と思い出す時には、必ず思い浮かぶ顔でした。
だから、彼が社会人になっても地元に残り「函館オーシャン」で活躍しているニュースは、
遠く離れた自分にとっても、とても嬉しく元気をもらえる話題だったんですね。

d96a7b12.jpegあいつは天国でも野球やってるんだろうな。

ショウゴのニコニコした笑顔を一生忘れないでしょう。

駆けつけれなくてゴメンな。ショウゴ。

心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。


毎度ありがとうございます!

その翌日、宮城県警から詐欺容疑で追っているハシモトとの契約時に受け取った
登記簿謄本と免許証コピーを捜査資料として提出して欲しいと電話がありました。

が、完全に人間不信になってたもんで、その電話をかけてきた刑事のことさえも
「本物の刑事か?誰かが成りすましてんじゃねーか。」
と勘ぐるくらいでしたからね。

そして・・・、警察への捜査協力やら報告書の提出やらで、あっという間に二週間が過ぎたある日、
地元新聞に小さな記事が載りました。

「詐欺容疑の女を逮捕。宮城県警は詐欺、出資法違反、公文書偽造などの容疑で、
 住所不定、自称橋下両子を逮捕した。調べによると、この橋下と名乗る女は、
 複数の男女に仙台市内で新規パチスロ店開業の架空の投資話しを持ちかけ、
 出資金の名目で資金を集めていたという。その後、出資者からの返済に
 応じなかったため、被害者が警察に相談し事件が発覚していた。
 この女は資金を集める際に、有限会社橋下商事なる架空の会社の登記簿謄本も
 偽造しており、その経緯についても調べを進めている。
 なお、女は自身の本名については黙秘を続けているという。」

eyes0806.jpg結局、あの女は一体誰だったんだろう。

なぜ、頑なに本名を隠し続けてるんだろう。

20年近く経った今でも、たまに思い出すことがあります。
騙されたことよりも、ヤ〇ザに捕まって物騒な事にならなくて
良かったという思いのほうが、強かったですよね。やっぱり。

その後、また毎日が慌ただしく過ぎ去っていき、あの女、いやハシモトリョウコに
どんな刑罰が下ったのか、事件の真相を聞かされる事もないまま、その半年後、
自分もサラリーマン生活にピリオドを打って仙台を離れたんです。

そして時は流れて、世は裁判員制度の時代になった。
刑事事件の公判というものを、TVドラマの中でしか見たことがない我々一般人が、
刑事被告人を裁く時代になってしまったんです。

みなさんも、いつサスペンス劇場のような事件に巻き込まれてもおかしくないんです。
それだけ、日常生活が犯罪や事件と隣接している怖さを認識しなくてはならないと思うんですね。

ひとつの事件には、幾重もの人間関係が存在し複雑に絡み合う。
単純に、物事の良し悪しだけでは計り知れない背景や環境や感情やタイミングが、
必ずそこには存在するわけです。

自分は、個人的には「裁判員制度」には反対です。

でも、反対の意見だからこそ、やってみたいという思いも強くあります。
机上論、感情論も大いに結構ですけど、やはりその中身に飛び込んでみない事には、
物事の本質にはたどり着けないと思うんですよ。
いわゆる「言うが易し。」では、人は裁けない。

あなたには、自称「ハシモトリョウコ」を裁けますか・・・? 

こ~の~街は~ 戦場~だから~ 男はみんな~ 傷を負った戦士~♪

・・・完。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長編、完読ありがとうございました。

秋の夜長の読み物としては、最後は重くまとめてしまいましたが(汗

「今日も頑張りましょう!」
「気合い入れましょう!」
だけじゃなく、たまには、こんな感じもアリかなと・・・。

さて、煮込みに火をかけて、日常に戻るとしますか。
毎度ありがとうございます!

少し話しを整理すると・・・。

当時はまだ携帯電話は自由化になっておらず、
「docomo」ではなく「NTT移動体通信網」だった頃なんです。

Docomo803.jpgあの頃、携帯電話を持つには
保証金:10万円
新規加入料:45800円
基本料金:月16000円
通話料:10円6,8秒
という大金が必要で、誰でも持てたモノではなかったんですよ。

だからこそ、我が社のようなファイナンス会社が資金をつぎ込み、
携帯電話を大量に新規加入し月割りでリース・レンタルするという事業は景気が良かった。

プリペイドカード式携帯なんて、まだこの世に無かった時代ですから、
選挙・イベント・工事現場・旅行会社・運送会社・病院・・etc、ニーズは無限にあったんです。

ただ、1台返却になる度に携帯電話(端末)を返却し、
名義人が通話料金を精算してからでないと利用休止できませんでしたから、
その端末が紛失ともなれば、保証金は戻らない、紛失届けは出さないといけない、
なによりNTT移動体からの評価が下がるという、最大のリスクは避けたかったわけです。

電話加入権の保有数はNTTに次ぐ第二位で、代理店ではなく特約店という重責も担ってましたし、
当時これからまだまだ発展成長するであろう携帯市場に参入していくためには、
金では解決できない、信頼と実績を積むことが急務だった背景もそこにはありました。

「通話料未納、端末未回収だけは絶対にイカン。」が本社からの至上命令でしたから。

そのあたりの社内事情を、元支店長たちに聞いていたハシモトに逆手に取られた。
あの日ホテルのロビーで、ボディガードに見つかり追い込まれたハシモトは
「まとまったお金を用意するまで、この携帯使ってていいわよ。いくら使っても大丈夫だから。」
と言ってその場をしのいだんだそうです。

ヤ〇ザも自分達の名前が表に出ることなく、あの当時、無制限に携帯が使えると言うのは、
いろんな使い道があって、ある意味おいしい取引だったともいえるわけです。

そんな状況にあったのに「あれ、ウチの旦那様なの。」じゃねーよ、クッソー。

eyes0684.jpg話しを応接間に戻すと・・・。

「たっぷりと使わせてもらったが、通話料はもちろん払わんぞ。
  契約したハシモトから貰えばいい。」
「そうですね。まぁ料金的なことは、全部こちらで処理しますんで。」
「だが、詐欺で警察が動いてるとなると話は別じゃ。
 その詐欺と我々は一切関係がないわけだし
 むしろ、勝手に住所を使ったケジメをつけさせないと、しめしがつかん。」
「・・・。」

「このまま、この携帯を捨ててもよかったんだが、こっちとしてもハシモトの持ってる携帯まで
 止められても困るし、こんなもん持ってて変に警察から勘ぐられるのも困る。
 だったら、あんたのとこにコレ返却して恩を売っておいたほうがいい。」
「・・・。」
「なんか連絡があったら、警察より先に教えてくれや。頼むで、な。」
「・・・。」
それだったら、さっき電話ありましたよ、と言いかけてやめた。

確かに携帯は持ってきてくれたが、今度はこの人たちの話がどこまで本当なのか。
この人たちに、ハシモトが捕まったらどうなるんだろ、とか考えたら背中に冷たいものが走ったんです。

・・・つづけても、いいですか?
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