『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

仲直り
毎度ありがとうございます!

昨夜の「水曜日のダウンタウン」を見て、久しぶりにテレビを見て胸が熱くなったんですよね。

テレビの企画のことですから、あれが演出なのか脚本があるのかは別としても、
10年以上もケンカして仲が悪く、解散まで首の皮一枚の状態で舞台の上で漫才だけはやっていた
「おぼん・こぼん」の仲直りまでのドキュメントでした。

昨夜のテレビを観ながら、今、身近な友人で夫婦のカタチで悩んでいたり、カっとなった感情で
言葉のチョイスを間違ったために、それまで大切にしてきた環境から離れることになってしまった
友人のことを思い浮かべていました。

ケンカには、たとえどんなに小さなことでも必ず理由があって、そこには他人には計り知れない
「怒りのスイッチ」というものが存在するものです。

他人からすれば「たかが、そんなことで?」というようなことでも、本人にしてみればそんな
「そんなこと」が許せなかったり、頭にくるということは誰にでもあることだと思うんですよね。

そこには、どちらかが正解、どちらかが不正解ということでもないはずです。
ならば、どこかできちんと相手の目を見て話し合うことが大事なんだと思うんですよ。

勝ち負けを決める話し合いじゃなく、元に戻るための、以前よりももっといい関係になるための
建設的な話し合いが必要なんだと思うんです。

昨日のおぼん・こぼんも「オレが手を差し伸べてるのに、なんやあの態度は。」とか
「せやから普通に戻りましょってゆうてるのに。」とか相手の出方ばかりを非難するんです。

それでも、自分の中には「怒りや憎しみの感情は長続きしない。」という持論があります。

勿論、されたことの大きさや限度にもよるでしょうけど「死ぬまで絶対に許さない!」なんて、
普段の生活の中でのケンカで、それが夫婦でも他人でもなかなかないと思うんですね。

キレた相手が悪いのか、キレさせた相手が悪いのかなんて、もうそんなに重要じゃないんです。

敬愛する相田みつをのカレンダーに「あんなにしてやったのに 『のに』 がつくと ぐちが出る」
という書があって、自分も怒りや愚痴が出る時に心に思い浮かべる言葉があります。

夫婦でも、友人でも、仕事上でも、グラウンドの上でも、「のに」がつくから
相手の言動にムカついたりキレたりすることの多さに気づかされます。

少しだけ言葉を選びを慎重に、それでもケンカになってしまったのなら、
どこかで相手の立場や想いを汲み取ってあげて、相手を許す懐の深さというものがなければ、
この世の中は「争い」と「いざこざ」ばかりが残ってしまうことになるでしょう。

そんな人生、つまんないじゃん。
面白くないじゃん、そんな毎日が続くなら。

相手がいるから夫婦になれるし、子どもがいるから親にもなれる。
働いてくれる人がいるから会社が成り立つわけで、お客様がいるから商売ができる。
選手がいるから指導者ができるわけだし、投票してくれる人がいるから政治家にもなれる。
米を食う人がいるから農家が成り立つし、家を建てる人がいるから大工が必要になる。

おぼん・こぼんも相方がいるから大好きな漫才が出来るということに気がついて、
勇気をもって頭を下げて修復できた。

「~してやったのに」というよりも「おかげさま」で生きていきたい。
難しく立ち位置の優劣を考えるよりもシンプルに「ありがとう」を伝えたい。

そんなことを思いながら観ていた「水曜日のダウンタウン」でした。

今日も秋晴れのいい天気の鶴岡です。
これから酒田に買い出しです。

休日のカミさんと二人でランチも兼ねて。
どこに行きたいのかはカミさんに合わせます。

コメント

1. 無題

「のに」
ばっかりだー

2. >ベイスターマンさん

「あんなに面倒見てやった後輩なのに・・・」

と言われないように精進します!(笑

3. 無題

座右の銘は「赦す」です(笑)
そうしないとこの世から戦争がなくならないから(真面目)

4. >コーチャーさん

なるほど、奥が深い。
「許す」ではなく「赦す」という方の「ゆるす」ですね。
恩赦の意味合いが強いほう。
勉強になります!

5. 無題

湯殿山に行きましょう。

6. >サウスポーさん

そうですね~
湯殿山へお参りに行きましょう。

今月いっぱいまでしか登れませんから
早いほうがいいですね。
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