『笑顔の中に美味さあり。』

やきとん専門店「やき処やんちゃ」店主ブログ

秋彼岸
毎度ありがとうございます!

昨日は秋彼岸で、我が家と実家のお墓参りに行ってきました。
最近は親tなんかと一緒には行動しなくなった息子も、「墓参りならオレも行くよ。」と言うんで、
春彼岸と秋彼岸の説明をしながら一緒にお墓参りをしてきました。

「いつかはお父さんもお母さんも、お前より先にこの墓に入るんだから、春彼岸と秋彼岸、
そしてお盆くらいは顔見せに来いよ。」と言うと、神妙な顔つきになっていました。

言葉はどうであれ「先祖を敬いながら故人を偲び、墓前で手を合わせる。」という行為を面倒がらずに
「それが日本人として当たり前」という感覚の大人に育てていくのは、親の努めだと思うんです。

自分も小さい頃から、墓参りだけはしっかりとやらされていました。
お墓参りは嫌いじゃなかったんですけど、その後に実家に親戚が集まって一席設けるあの場が
子どもの頃はあまり好きじゃなかったかもしれませんね。

まぁ、そうやって親戚のオジちゃんオバちゃんと絡みながら「社交性」を身につける場だと想えば、
ああいう時間も子どもには必要なことなのかもしれませんね。

親戚が来るとさっさと自分の部屋に退散してマンガでも読んで潜んでいようと思っていても、
下にいる親からデカい声で「おーい!下りてこい!」なんて呼ばれて「あ、こんちわ。」なんて
挨拶するのが逆にこっぱずかしくなってくるものなんですよね。

「目上の人や大人と普通の会話が出来るようになる」そういう感覚というか社交性は
早いうちに身につけた方がいいと思うんです。

普段生活していても後輩や知人の子ども連れと遭遇する機会がよくあるんですけど、
子どもに向かって「どう?野球頑張ってる?」とか「サッカー楽しい?」とか話しかけても
隣にいるお母さんが「頑張ってるよね。」とか「コーチが怖いんだよね。」と答えるシーンが
結構あるんですよ。

体の線が細い子に「たくさんメシ食って体をデカくしないとな。」と声をかけても、
隣のお母さんが「ほんと好き嫌いが多い子でー」なんて答えちゃったりして。
親の「過保護」というよりも「過干渉」なのかもしれませんね。

知らないオッサンに声かけられて初めは緊張して「ハイ。」ってしか答えられなかったとしても、
だんだん慣れてくると子どもだって普通の会話が出来るようになってくるもんなんですよ。

そういう会話を引き出せるような目線の合わせ方や、身構えさせない雰囲気で接する
大人の歩み寄りも必要なんでしょうけどね。

話しが脱線してしまいましたけど、今はまだそんな必要はないと思うけれど、
いずれは息子に任せなくてはならないことが我が家にもたくさんあるわけです。

「折をみて機会があれば、会話しながら伝えていくこと。」を意識した秋彼岸になりました。

宗教とはなんぞや、宗派とはなんぞや、墓参りとはなんぞや、彼岸とはなんぞや・・・
多分、言った話しの半分も頭に入ってないでしょうけど、今はそれでいいんです。

またいつか同じ話しをするでしょうし、もっと先になってから「あー、そういえばそんなこと言ってたな。」
と頭の片隅にでも残っていれば、それでいいんだと思います。

さて、今日は煮込みの完成にはもう少し時間が必要です。
朝食の後片付けでもしながら、9時の買い出しまで少しカールとのんびりしますか。

今週も頑張ります。
ではまた。



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